エフライム族(エフライムぞく)は、イスラエルの12支族の中の1部族であり、ヨセフ族から分かれた2部族(マナセ族、エフライム族)の内の1つである[1]

エフライム部族に割り当てられた地域は、北はメクメタテ、南はベテ・ホロンゲゼルに及ぶ中央パレスチナの丘陵地帯であり、パレスチナの中でもっとも豊かな地域の一つである。

聖書の中でエフライムは重要な位置をしめて、シロベテルが礼拝の中心地になった。ヨシュアエルアザルの墓はエフライムの山地にあった。

やがて、古代イスラエル王国が分裂すると、北イスラエル王国の首都シェケムのすぐ隣にエフライムの領土があった。初代北イスラエル王国の王ヤロブアム1世はエフライム出身であったので、紀元前745年頃から、北イスラエル王国はエフライムと呼ぶようになった。

士師記第12章でのエタが率いるギレアド族との内戦で「シボレテ」という言葉を正しく発音できない方言を利用され、捕えられ、四万二千人のエフライム族が殺害された(シリア・エフライム戦争)。

日ユ同祖論

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久保有政は、皇室のルーツをエフライム族の王家であるとしている[2]

出典

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  1. ^ ヨシュア記 第14章 4節 ウィキソース
  2. ^ 久保 2003 p.170

参考文献

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  • 『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1985
  • 久保有政『日本の中のユダヤ文化』学研研究社、2003年