エドワード・シャクルトン

イギリスの政治家

シャクルトン男爵エドワード・アーサー・アレクサンダー・シャクルトン(Edward Arthur Alexander Shackleton, Baron Shackleton KG AC OBE PC FRS FRGS[1]1911年7月15日 - 1994年9月22日)は、イギリスの地理学者、空軍将校、労働党の政治家。著名な南極探検家であるアーネスト・シャクルトンの末子。

エドワード・シャクルトン
Edward Shackleton
幼少期のエドワード・シャクルトン(左)と父アーネスト・シャクルトン(右)
生年月日 (1911-07-15) 1911年7月15日
出生地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン
没年月日 (1994-09-22) 1994年9月22日(83歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドニュー・フォレスト
出身校 オクスフォード大学モードリン・カレッジ英語版
所属政党 労働党
称号 KG AC OBE PC FRS FRGS
配偶者 ベティ・ホーマン
子女 チャールズ
アレクサンドラ

内閣 ウィルソン内閣
在任期間 1968年11月1日 - 1970年6月20日

内閣 ウィルソン内閣
在任期間 1968年1月16日 - 1970年6月20日

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1958年 - 1994年

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 プレストン選挙区、プレストンサウス選挙区
当選回数 3回
在任期間 1946年 - 1955年
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エドワード・シャクルトン
所属組織  イギリス空軍
軍歴 1940年-1956年
最終階級 空軍中佐英語版
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生い立ちと初期の経歴

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ロンドンのワンズワースで、アーネスト・シャクルトンの一番下の息子として生まれる。オックスフォードシャーラドリー英語版近郊にある全寮制男子 インデペンデント・スクールラドリー・カレッジ英語版で学び、オックスフォード大学モードリン・カレッジ英語版に進学した[2]

1932年にトム・ハリソン英語版が組織した、オックスフォード大学探検部英語版ボルネオ島サラワク遠征隊の隊員となった。この探検で、シャクルトンはムール山英語版に初登頂した。

1934年には、「オックスフォード大学エルズミーア遠征隊(Oxford University Ellesmere Land Expedition)」を組織し、ゴードン・ノエル・ハンフリーズ英語版を隊長とした。シャクルトンは副測量士として隊に同行した。同遠征隊はオックスフォード大学に由来するオックスフォード山英語版ブリティッシュ・エンパイア・レンジ英語版を命名した。シャクルトンは大学を出ると、北アイルランドでBBCのプロデューサーとして働いた-その経験が彼を保守党から労働党へ転向させることとなった。空軍で軍務に就き、1945年に大英帝国勲章オフィサー(OBE)を授与された[3]

政治家転向以降

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1945年イギリス総選挙エプソム選挙区英語版同年のブーネモス選挙区補欠選挙英語版の労働党候補として立候補するが落選。1946年にプレストン選挙区英語版から立候補し当選した。1950年にはプレストンサウス選挙区英語版から当選し、1951年に再選された。

1955年に落選し、1958年8月11日に、ハンプシャー州バーレイ英語版一代貴族シャクルトン男爵」となる[4]ハロルド・ウィルソン内閣では、1964年から1967年まで空軍次官英語版、1967年から1968年まで無任所大臣、1968年に出納局長官英語版を務めた。1968年から1970年まで貴族院院内総務となり、野党転落後も影の内閣貴族院院内総務英語版を務めた。

1971年から王立地理学会の会長を務める。1974年にはガーター騎士団員に叙せられた[5]。同年、新たに設立されたジェームズ・ケアード号[6]協会(James Caird Society)の終身会長となる。また、1962年から死去するまでイギリス学校探検協会英語版 (B.S.E.S.)のパトロンとして活動した。1989年には、規定12に基づく王立協会フェローに選ばれた[7]。また、東ヨーロッパ貿易協議会(East European Trade Council)の議長を務めた[8]

1990年、「特にイギリス・オーストラリア協会英語版を通じた、イギリスとオーストラリアの関係への貢献に対して」、オーストラリアの文民に与えられる最高の勲章であるオーストラリア勲章英語版コンパニオン (AC)を授与された[9]

私生活

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1938年にベティ・ホーマン(Betty Homan)と結婚し、2人の子供:チャールズ・エドワード・アーネスト(Charles Edward Ernest)とアレクサンドラ(Alexandra)がいる。

紋章

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シャクルトンのガーターバナーは、生前はウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に、現在はフォークランド諸島のクライストチャーチ大聖堂に飾られている[10]

脚注

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  1. ^ Jellicoe, T. E. (1999). “Lord Edward Arthur Alexander Shackleton. 15 July 1911 – 22 September 1994: Elected F.R.S. 1989”. Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society英語版 45: 485. doi:10.1098/rsbm.1999.0032. 
  2. ^ タム・ダリエル英語版 (1994年9月24日). “Obituary: Lord Shackleton”. インデペンデント. 2018年3月2日閲覧。
  3. ^ "No. 37119". The London Gazette (Supplement) (英語). 14 June 1945. p. 2949. 2018年1月16日閲覧
  4. ^ "No. 41473". The London Gazette (英語). 15 August 1958. p. 5077. 2018年1月16日閲覧
  5. ^ "No. 46274". The London Gazette (英語). 26 April 1974. p. 5227. 2018年1月16日閲覧
  6. ^ 彼の父・アーネストと仲間が南極から脱出する際に乗った船の名であり、元々はジュート英語版王で慈善家のジェームズ・キー・ケアード英語版準男爵に由来。
  7. ^ Library and Archive catalog”. Royal Society. 7 April 2016閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ https://www.theyworkforyou.com/lords/?id=2016-07-07a.2142.0
  9. ^ Profile Archived 4 June 2011 at the Wayback Machine., itsanhonour.gov.au; accessed 7 April 2016.
  10. ^ Lord Shackleton's Garter banner Archived 18 November 2015 at the Wayback Machine., stgeorges-windsor.org, June 2015; accessed 7 April 2016.

参考文献

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外部リンク

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