エドワード・カルヴァート

エドワード・カルヴァート(Edward Calvert、1799年9月20日 - 1883年7月14日)は、イギリスの版画家、画家である。

エドワード・カルヴァート
Edward Calverts
カルヴァートの版画作品
生誕 (1799-09-26) 1799年9月26日
アップルドア(Appledore)
死没 1883年9月20日(1883-09-20)(83歳没)
ロンドン
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略歴

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イングランド南西部デヴォンのアップルドア(Appledore)で生まれた。アップルドアは1855年に有名な造船所ができることになるの河口の村であった。父親は海軍の士官で[1][2] 、しばらく海軍に入隊した後、プリマスで美術を学び始め、1824年からはロンドンロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校で学んだ。

詩人で挿絵画家、版画家でもあったウィリアム・ブレイク(1757-1827)の版画作品から影響を受け、ブレークを信奉するジョン・リネル(1792-1882)やサミュエル・パーマー(1805-1881)らの美術家グループ「Ancients」に加わった。

エドワード・カルヴァートはこの頃から制作していた木版画が後世、高い評価を得ることになるが、存命中は友人たちの間でしか知られておらず、息子によって1893年に版画集が出版されたことによって広く知られることになった[3] 。版画家としてはエッチングの作品も制作した。

結婚して、ロンドン近郊のダルストン(Dalston)やハックニー(Hackney)近くで暮らし、古典的な絵画を描いていたが、絵画についてはあまり評価されていない。

カルヴァートの約65点の素描や約40点の版画とそれらの版木は大英博物館が所蔵している[4]

1883年にロンドンで没した。

三男のサミュエル・カルヴァート(Samuel Calvert: 1828–1913) はオーストラリアで画家、版画家として活躍し、1893年に父親の回想録を出版した。

作品

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脚注

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