エドゥアール・シャヴァンヌ
エドゥアール・シャヴァンヌ(Édouard Chavannes、1865年10月5日リヨン - 1918年1月20日)は、フランスの歴史学者・東洋学者。姓は「シャバンヌ」とも日本語表記される。漢字名は「沙畹」、字は「滋蘭」、号は「獅城博士」[1]。フランスにおける中国学・東洋学・東洋史学の草分け的存在とされる。
人物情報 | |
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生誕 |
1865年10月5日 フランス リヨン |
死没 | 1918年1月20日 (52歳没) |
学問 | |
研究分野 | 東洋学 |
研究機関 | コレージュ・ド・フランス |
経歴
編集1893年よりコレージュ・ド・フランスの教授となる。1885年から1905年にかけて『史記』の翻訳注釈を行った(“Les Mémoires historiques de Se-ma Ts'ien ”)。1913年には、1907年にオーレル・スタインによって発見された木簡の「敦煌漢簡」700片余の解読を完了し、“Les documents chinois : découverts par Aurel Stein dans les sables du Turkestan oriental ”としてオックスフォード大学出版部より出版した。
1910年にフランスのアジア協会副会長、1916年にイギリスのアジア協会の名誉会員となった。フランス文学院より1894年と1897年にスタニスラス・ジュリアン賞を受賞。
著書
編集主な論文に“le t'ai chan(泰山) : essai de monographie d'un culte chinois”がある。編纂としては“Documents sur les Tou-kiue (Turcs) occidentaux”があり、『西突厥史料』として馮承鈞によって訳され(1934年)、2004年の中華書局版など、中国本土と台湾で数種の版が出版されている。
日本語訳された著書
編集脚注
編集- ^ 孙沛阳. “一枚与沙畹的字有关的印章”. 澎湃新闻・上海书评. 2018年5月8日閲覧。。「獅城」はリヨンを指す。リヨンの意味は獅子の都市。