エドワード・ベイカーエディ・リンカーン英語: Edward Baker "Eddie" Lincoln, 1846年3月10日 - 1850年2月1日)は、エイブラハム・リンカーンメアリー・トッド・リンカーンの次男。3歳で病死した。

エディ・リンカーン
Eddie Lincoln
エディ・リンカーン(1850年)
生誕 (1846-03-10) 1846年3月10日
アメリカ合衆国
イリノイ州スプリングフィールド
死没 (1850-02-01) 1850年2月1日(3歳没)
アメリカ合衆国
イリノイ州スプリングフィールド
エイブラハム・リンカーン(父親)
メアリー・トッド・リンカーン(母親)
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生い立ち

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エディ・リンカーンことエドワード・ベイカー・リンカーンは1846年3月10日エイブラハム・リンカーンメアリー・トッド・リンカーンの次男として出生した[1]。彼の名前はエイブラハムの友人のエドワード・ディキンソン・ベイカーにちなんで名付けられた[1]

エイブラハムが連邦上院議員に選出されたため、エディは1847年10月に両親や兄のロバートとともにワシントンD.C.移住した[1]

ロバートがある時、子を見つけて家に連れてきた。猫を嫌って捨ててくるように言うメアリーの継母に対し、エディは金切り声を上げて抗議した[2]。彼は無力な子猫を愛し、その看病と世話をした[3]

エディは4歳の誕生日を迎える前の1850年2月1日に亡くなった。国勢調査レコードリストには死因は「chronic consumption」(結核)と記載されており、甲状腺髄様がん英語版で死亡したことが示唆されている[4]。第一に、「consumption」という用語は当時は多くの消耗性疾患に対して使用されていた。第二に、がんは消耗性疾患である。第三に、彼の父親と2人の兄弟はいくつかの「多発性内分泌腫瘍症2B型英語版」(MEN2B)の特徴を持っていた。第四に、エディの厚みのある不釣り合いな下唇はMEN2Bの兆候を示している。第五にMEN2B患者の100%が甲状腺髄様がんを発症しており、早い場合だと新生児期に発症してしまう[5]

エディの遺骨イリノイ州スプリングフィールドにあるハッチンソン墓地に埋葬された[6]。メアリーは故人をしのんで「リトル・エディ」と題する4スタンザで構成されるを作成し、その内容は『イリノイ・ステート・ジャーナル英語版』に掲載された[1]

エイブラハムとメアリーの次の子どもであるウィリー・リンカーンはエディの死の10か月後に出生した[7]1865年の父親の暗殺後、1871年9月19日にスプリングフィールドにあるオークリッジ墓地英語版に父のエイブラハム、上の弟のウィリー、下の弟のタッドとともに再埋葬された[7]

脚注

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  1. ^ a b c d Edward Baker Lincoln” (英語). AbrahamLincoln200.org. 2015年7月11日閲覧。
  2. ^ Burlingame(2008年) p.239
  3. ^ Miller(2008年) p.439
  4. ^ The Physical Lincoln” (英語). Physical-Lincoln.com. 2015年7月11日閲覧。
  5. ^ C.D. Moyes,F.W. Alexander (1977). “Mucosal neuroma syndrome presenting in a neonate”. Dev Med Child Neurol 19 (4): 518-534. PMID 892250. 
  6. ^ Edward Baker "Eddie" Lincoln” (英語). Findagrave.com. 2015年7月11日閲覧。
  7. ^ a b William Lincoln” (英語). AbrahamLincoln200.org. 2015年7月11日閲覧。

参考文献

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  • Michael Burlingame (2008年) (英語). Abraham Lincoln: A Life. Johns Hopkins University Press. ISBN 978-0801889936 
  • Richard Lawrence Miller (2008年) (英語). Lincoln and His World: Vol.2, Prairie Politician, 1834-1842. Stackpole Books. ISBN 978-0811703925