エットーレ・ジャンニーニ
エットーレ[注釈 1]・ジャンニーニ(Ettore Giannini, 1912年12月15日 - 1990年11月15日)は、イタリアの脚本家、映画監督である[2][3]。ネオレアリズモ、イタリア式コメディの映画作家であり、寡作である[2][3]。
Ettore Giannini エットーレ[注釈 1]・ジャンニーニ | |
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生年月日 | 1912年12月15日 |
没年月日 | 1990年11月15日(77歳没) |
出生地 | イタリア カンパニア州ナポリ県ナポリ |
死没地 | イタリア カンパニア州ナポリ県マッサ・ルブレンセ |
職業 | 脚本家、映画監督 |
ジャンル | ネオレアリズモ、イタリア式コメディ |
活動期間 | 1936年 - 1967年 |
備考 | |
第7回カンヌ国際映画祭国際賞 『ナポリの饗宴』 |
人物・来歴
編集1912年12月15日、カンパニア州ナポリ県ナポリに生まれる[2]。
1936年、短篇映画 La prua incatenata を監督した記録がある[2]。1940年以降、脚本家として活動し、1942年にはルイジ・ザンパが監督した『フラ・ディアボロ』の助監督を務め、翌1943年には『白い天使』で映画監督としてデビューする[2]。
1954年に開催された第7回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に監督作『ナポリの饗宴』を出品、国際賞を受賞、以降監督作はない[2]。1957年に開催された第22回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門における審査員を務める[2]。
フィルモグラフィ
編集助監督作等、クレジットの不明なものもあり、明確な作品は下記の通り[2]。
- La prua incatenata : 短篇映画、1936年 - 監督
- 『恋の策略』 Manovre d'amore : 監督ジェンナロ・リゲッリ、1940年 - 脚本
- 『描かれた地平線』 Orizzonte dipinto : 監督グィド・サルヴィーニ、1941年 - 原案
- 『フラ・ディアボロ』 Fra' Diavolo : 監督ルイジ・ザンパ、1942年 - 助監督
- 『白い天使』 L'angelo bianco : 1943年 - 監督・技術監督
- 『その男たちは敵である』 Gli uomini sono nemici : 1948年 - 監督
- 『裁判に立つ都市』 Processo alla città : 監督ルイジ・ザンパ、1952年 - 原案・脚本
- 『ヨーロッパ一九五一年』 Europa '51 : 監督ロベルト・ロッセリーニ、1952年 - 出演・役 Andrea Casatti
- 『ナポリの饗宴』 Carosello napoletano : 1954年 - 監督・脚本
- 『我は我が恋をつらぬく』 Difendo il mio amore : 監督ジュリオ・マッキ、1956年 - 原案
- 『祖母サベッラ』 La nonna Sabella : 監督ディーノ・リージ、1957年 - 脚本
- 『さいはての用心棒』 Per pochi dollari ancora| : 監督ジョルジオ・フェローニ、1966年 - 翻案・台詞
- 『女王陛下の大作戦』 Colpo maestro al servizio di Sua Maestà britannica| : 監督ミケーレ・ルーポ、1967年 - 脚本・台詞
関連事項
編集参考文献
編集- 『イタリア映画史入門 1905 - 2003』 : ジャン・ピエロ・ブルネッタ、訳川本英明、鳥影社、2008年7月 ISBN 4862651445
脚註
編集註釈
編集出典
編集外部リンク
編集- Ettore Giannini - IMDb
- Ettore Giannini - オールムービー
- エットーレ・ジャンニーニ - KINENOTE
- エットレ・ジャンニーニ - allcinema
- エットーレ・ジャンニーニ - ウェイバックマシン(2014年9月12日アーカイブ分) - movie-fan.jp