ウーリー・ステック
スイスの登山家
ウーリー・ステック(Ueli Steck、1976年10月4日 - 2017年4月30日)は、スイスの登山家。
アルプス三大北壁の最速登頂記録を持つ[1]。卓越した登攀技術と、常人離れした高所耐性から、「スイスマシーン」の異名をとる[2]。名前はウエリ・シュテックと表記されることもある。
主な登頂記録
編集- 2001年 プモリ西壁初登頂
- アイガー北壁"The Young Spider"初登頂
- 2006年 ガッシャーブルムII峰北壁初登頂
- 2008年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録・2時間47分33秒
- グランドジョラス北壁ソロ 最速登頂記録・2時間21分
エピソード
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- 2008年2月13日、ほとんどのクライマーがチームを組んで、二日はかけて登頂するアイガー北壁(高さ1800m)に、単独、命綱無しで、わずか2時間47分33秒という驚異的なスピードで登頂した。2015年には、自身の記録を更新する2時間22分50秒で登頂した。
- 2008年5月、アンナプルナを登山中、スペイン人登山家のイニャキ・オチョア・デ・オルサ隊の遭難事故が発生した際には、自らのチャレンジを捨て遭難現場に急行。二人のうち一人は救助の甲斐なく死亡したものの、ウーリーの迅速な対応により一名は生還を果たした[5]。この救出活動は後に映画化され、日本でも2014年9月に公開された(「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」)[6]。この活躍が評価され、チームメイトのシモン・アンターマッテンとともに「プリ・クラージュ(Prix Courage)賞」を受賞した。
- 2012年5月にはエベレストの無酸素登頂に挑戦。登頂予定日には異常高温によるルート崩壊で待機していた登山家の大渋滞に巻き込まれ、デスゾーンで予定外の待機を余儀なくされるアクシデントが発生。同行のシェルパが力尽き撤退する状況の中、ウーリーは登頂に成功して生還を果たした[7]。
- 2013年4月、エベレストでシモーネ・モロ、ジョナサン・グリフィスと共にシェルパと乱闘事件を起こし、登頂を中止し下山することになった[8]。
脚注
編集- ^ スイス最速のアルピニスト、ウエリ・シュテックがアイガー、マッターホルン、グランド・ジョラスのスピード記録を樹立
- ^ 著名登山家がエベレストで死亡=高所順応中、滑落か-ネパール 時事通信(2017年4月30日)2017年4月30日閲覧
- ^ “Ueli Steck Takes Back Eiger Speed Record”. Climbing. 2015年12月31日閲覧。
- ^ “Ueli Steck New Speed Record Eiger 2015”. Youtube. 2015年12月31日閲覧。
- ^ “It's over: Iñaki Ochoa lost on Annapurna” (英語). explorersweb (2008年5月23日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ “「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」公式サイト”. 2015年12月31日閲覧。
- ^ “everest final report” (英語). 本人サイト. 2012年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月31日閲覧。
- ^ “エベレストでの「恐怖の乱闘」、登山家側がシェルパに暴言か 新証言続々”. AFPBB News. (2013年5月2日)
- ^ “Ueli Steck dead: Famous Swiss climber killed in mountaineering accident near Mount Everest” (英語). The Independent. (2017年4月30日)