ウード1世 (ヴェッテラウ伯)
ウード1世(ドイツ語:Udo I., 896/8年 - 949年)は、ヴェッテラウ伯(在位:914年 - 949年)およびラインガウ伯。ロートリンゲン公ゲープハルトの息子で、シュヴァーベン公ヘルマン1世の弟。メルゼブルク司教ティートマールの曽祖父にあたる[1]。
ウード1世 Udo I. | |
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ヴェッテラウ伯 | |
在位 | 914年 - 949年 |
出生 |
896/8年 |
死去 |
949年 |
配偶者 | キュネゴンド・ド・ヴェルマンドワ |
子女 |
ゲープハルト ウード2世 ヘリベルト コンラート1世 ユーディト |
家名 | コンラディン家 |
父親 | ロートリンゲン公ゲープハルト |
母親 | イダ |
生涯
編集939年10月2日のアンダーナッハの戦いにおいて、ウードと従兄弟ラーンガウ伯コンラート・クルツボルトは皇帝オットー1世に対し反乱を起こしたフランケン公エーバーハルトとロレーヌ公ギゼルベルトを倒した。ウードもコンラートもコンラディン家出身でエーバーハルトの従兄弟であったが、リウドルフィング家の皇帝オットー1世の側について戦った[2]。ウードらは少数の兵で反乱軍を追跡し、敵の大部分がすでにライン川を越えていたが、エーバーハルトおよびギゼルベルトがまだ川を渡っていないうちに攻撃した。エーバーハルトは戦死し、ギゼルベルトは対岸に逃げようとしてライン川で溺死した[2]。これによりオットー1世に対する反乱は崩壊した。
ウードは従兄弟エーバーハルトの私領を相続したが、公爵位は相続しなかった。オットー1世はまた、ウードが領地をあたかも世襲財産であるかのように息子たちに分割することを許可することで、ウードの忠誠心に感謝した。949年、ウードは従兄弟コンラート・クルツボルトの領地も相続した。
子女
編集脚注
編集参考文献
編集- 三佐川亮宏 『オットー朝年代記』 知泉書館、2021年
- 菊池良生 『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』 講談社現代新書、2022年