ウラディミール・クリュコフ
ソビエト連邦の作曲家
ウラディミール・ニコラエヴィチ・クリュコフ(Владимир Николаевич Крюков、1902年7月22日(ユリウス暦では7月9日)- 1960年6月14日)は、モスクワに生まれ、モスクワ州スタラヤ・ルザで没した、ソビエト連邦時代のロシアの作曲家。
ウラディミール・クリュコフ Владимир Крюков | |
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出生名 |
ウラディミール・ニコラエヴィチ・クリュコフ Владимир Николаевич Крюков |
生誕 |
1902年7月22日(ユリウス暦では7月9日) ロシア帝国 モスクワ |
死没 |
1960年6月14日(57歳) ソビエト連邦 モスクワ州スタラヤ・ルザ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
職業 | 作曲家 |
経歴
編集モスクワ音楽院でニコライ・ミャスコフスキーの下で作曲を学び、1925年に卒業した。
1930年から1931年にかけて、また後には1950年から1951年にかけて全連邦ラジオ(Всесоюзного радио:後のラジオ1の前身)で編集者として働き、その間の1933年から1935年にかけては、マヤコフスキー劇場の音楽担当を務めた。
1949年から1950年にかけては、モスクワ国立アカデミー交響楽団の役職に就いていた。
1957年から1959年にかけては、グネーシン音楽大学で部門長を務めた。
映画音楽などで知られる作曲家のニコライ・ニコラエヴィチ・クリュコフは、弟である[1]。
代表作は、オペラ『駅長 (Станционный смотритель)』と『ドミトリー・ドンスコイ (Дмитрий Донской)』である。
多数の記事や評論の著者でもあった。
脚注
編集- ^ 一部の資料では、両者の混同が見受けられる。MovieWaler のニコライ・クリューコフの記述と、allcinema のウラディミール・クリュコフの記述を比較されたい。