USS Walke DD-723
艦歴
発注
起工 1943年6月2日
進水 1943年10月27日
就役 1944年1月21日
退役 1970年11月30日
除籍 1974年2月1日
その後 1975年4月16日にスクラップとして売却
性能諸元
排水量 2,200トン
全長 376 ft 6 in (114.8 m)
全幅 41 ft 1 in (12.5 m)
吃水 15 ft 8 in (4.8 m)
機関 蒸気タービン方式
2軸推進、60,000 shp (45 MW)
最大速力 34 ノット (63 km/h)
航続距離 6,500 海里 (12,000 km) 15ノット時
乗員 士官、兵員336名
兵装 38口径Mk 30 38口径5インチ連装砲 3基
60口径ボフォース 40mm4連装機関砲 2基
60口径ボフォース 40mm連装機関砲 2基
エリコン 20mm単装機銃 11門
21インチ5連装魚雷発射管 2基
爆雷投下軌条 2軌
爆雷投射機 6基

ウォーク (USS Walke, DD-723) は、アメリカ海軍駆逐艦アレン・M・サムナー級。艦名は南北戦争で活躍したアメリカ海軍少将ヘンリー・A・ウォークに因む。この名を持つ艦としては3隻目。

艦歴

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「ウォーク」は1943年6月7日にメイン州バスバス鉄工所で起工した。1943年10月27日にダグラス・ディロンによって命名、進水し、1944年1月21日にボストン海軍工廠で艦長ジョン・C・ザーム中佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦

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ボストン海軍工廠での艤装が完了すると、「ウォーク」は2月12日にワシントンD.C.に向けて出航し、14日から18日まで停泊した後バミューダでの整調訓練に向かった。1944年3月19日にボストンに帰還、信頼性試験の後バージニア州ノーフォークに移動し、高速での給油訓練を給油艦「オーシラ (USS Aucilla, AO-56)」と共に、艦船局の監督下行った。ウォークはハンプトン・ローズからフロリダ州キーウェストに移動し、4月の第1週の週末に新型聴音装置を用いた対潜水艦戦試験を行った。任務は4月17日に終了し、2日後ノーフォークに到着、新造艦乗員訓練の核となる乗員たちの訓練を完了した。

5月12日に「ウォーク」はニューヨークに向かい、翌日到着した。14日にノルマンディー上陸作戦に参加するためヨーロッパへ向けて出航する。5月24日にスコットランドグリーノックに到着する。6月6日から26日まで、第119駆逐隊に加わり沿岸の砲撃、掃海に従事した。7月9日にはアメリカへ帰還し、8月30日空母「タイコンデロガ」の護衛としてパナマ運河サンディエゴを経て、9月25日真珠湾に入港した。10月23日、戦艦「ノースカロライナ」の護衛として真珠湾を発ち、11月5日ウルシー環礁に到達した。第38.4任務群に加わった後、11月27日第60駆逐艦隊に加わりレイテへ出港、29日には第77.2任務群の、次いで12月6日には第78.3任務群の護衛任務に就いた。7日には特攻により大破した駆逐艦「マハン」の救助と処分に当たった。

1945年1月6日、リンガエン湾で掃海隊の護衛中に特攻を受け、艦橋及び右舷を損傷した。この時、艦長のジョージ・フレミング・デイヴィス中佐が重傷(後に死亡)を負いつつ、艦の維持を指揮し、9日まで引き続き護衛任務に当たった。艦長の功績に因んでフォレスト・シャーマン級駆逐艦の5番艦が「デイヴィス」と命名された。「ウォーク」は修復後、沖縄戦に参加している。

朝鮮戦争

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太平洋予備役艦隊サンディエゴ・グループで3年余り保管された後、ウォークは1950年10月5日にマーシャル・F・トンプソン中佐の指揮下再就役した。西海岸沿いに整調訓練を行った後、1951年1月2日にサンディエゴを出航し朝鮮戦争への参加のため極東に向かう。横須賀で嵐で受けた損傷を修理した後、朝鮮半島沖で第77任務部隊に合流した。

任務部隊の空母に対して対潜哨戒護衛を行うのに加えて、韓国沿岸に移動し元山城津清津などの都市の鉄道および道路に対して砲撃を行った。6月12日、任務部隊と共に沖合60マイルを航行中に浮遊機雷に接触、爆発により死者26名、負傷者40名を出した。

佐世保で応急修理を行った後、「ウォーク」は本国に帰還、メア・アイランド海軍造船所で7月に本格修理を行った。修理後1952年6月に朝鮮半島の戦闘地帯に戻り、第77任務部隊の護衛任務を再開、加えて艦砲射撃任務にも従事した。作戦活動は1953年1月に完了し、カリフォルニア州ロングビーチに帰還、西海岸での通常任務を開始した。7月に「ウォーク」は韓国沖合で第77任務部隊に再合流し、7ヶ月間の空母護衛任務に就く。しかしながらこの時までに停戦協定が成立し、「ウォーク」の戦闘任務は終了した。

ベトナム戦争

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ベトナム戦争時には、台湾海峡の警戒とベトナム沿岸での対潜作戦・支援砲撃に当たった。1966年6月9日、後部機関室より出火し、その後修復を行っている。1970年10月4日までこれらの任務に当たった後、ロングビーチへ向かった。

「ウォーク」は現役最後の年を西海岸沿いに活動した。1970年11月30日に「ウォーク」はピュージェット・サウンド海軍造船所で退役、太平洋予備役艦隊コロンビア川グループで1974年まで係留された。その後1974年2月1日に除籍され、1975年4月16日にワシントン州タコマのジェネラル・メタルズ社にスクラップとして売却された。

「ウォーク」は第二次世界大戦の戦功で6個、朝鮮戦争の戦功で4個、ベトナム戦争の戦功で7個の従軍星章を受章した。

外部リンク

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