ウィンストン・ボハルデ

オランダのサッカー選手

ウィンストン・ボハルデWinston Lloyd Bogarde, 1970年10月22日 - )は、オランダロッテルダム出身の元サッカー選手。ポジションはDF。4年契約でチェルシーFCに移籍したもののその間わずかな試合にしか出場せずリザーブ・ユースチームでトレーニングを続けながら契約通りの高額な報酬を受け取っていたことで物議をかもした。

ウィンストン・ボハルデ
名前
本名 ウィンストン・ロイド・ボハルデ
ラテン文字 Winston Lloyd Bogarde
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 (1970-10-22) 1970年10月22日(54歳)
出身地 ロッテルダム
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
ポジション DF (LSB, CB)
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1991 オランダの旗 SVV 11 (1)
1990 オランダの旗 エクセルシオール (loan) 10 (1)
1991-1994 オランダの旗 スパルタ 65 (14)
1994-1997 オランダの旗 アヤックス 62 (6)
1997 イタリアの旗 ミラン 3 (0)
1998-2000 スペインの旗 バルセロナ 41 (4)
2000-2004 イングランドの旗 チェルシー 12 (0)
通算 204 (26)
代表歴
1995-2000 オランダの旗 オランダ [1] 20 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
ウィンストン・ボハルデ

略歴

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ロッテルダム郊外のクラブSVVオランダ語版でプロデビューし、1991年スパルタ・ロッテルダムに加入。当時は前線のポジションを務めており、1993-94シーズンではリーグ戦11ゴールを記録している。1994年アヤックスに移籍すると、ルイ・ファン・ハールによって守備的なポジションへとコンバートされ、強靭な体格と持ち前のスピードを活かしたストッパーへと成長を遂げた。1997年、ファン・ハールのあとを追ってFCバルセロナへと移籍。2000年に同胞マリオ・メルヒオットの誘いもありチェルシーFCに移籍したが、その数週間後にジャンルカ・ヴィアリに代わって監督に就任したクラウディオ・ラニエリはボハルデを戦力構想外とみなした。しかし週給7万ポンドの4年契約というチェルシーの報酬を保証してくれる移籍先も見当たらず、ボハルデはチェルシーに残留し契約を全うするという道を選んだ。クラブはボハルデを退団させるためにトップチームではなくリザーブ・ユースチームでのトレーニングを命じたが、結局ボハルデはチェルシーでの4年契約を満了した。この間出場試合はわずか11にとどまり、2000年12月26日のイプスウィッチ・タウンFC戦に途中出場してからは2002年の11月6日のリーグカップのジリンガムFC戦に途中出場しただけであった。チェルシー退団後はどのクラブとも契約合意に至ることなく、1年後の2005年11月8日に現役引退を表明した。

代表歴

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獲得タイトル

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  アヤックス・アムステルダム
  FCバルセロナ

脚注

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関連項目

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外部リンク

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