ウィルブラハム・エジャートン (初代エジャートン伯爵)

初代エジャートン伯爵ウィルブラハム・エジャートンWilbraham Egerton, 1st Earl Egerton1832年1月17日1909年3月16日)は、イギリスの貴族。保守党の政治家。エジャートン家英語版出身であり、政治家としては庶民院議員を、実業家としてはマンチェスター・シップ運河英語版社長を務めた[1]

フランツ・バウム(Franz Baum)による肖像写真、1907年。

生涯

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フーベルト・フォン・ヘルコマーによる肖像画、1901年。
 
バニティ・フェア』1886年11月27日号におけるカリカチュアカルロ・ペリグリーニ画。

初代エジャートン男爵ウィリアム・タットン・エジャートン英語版と妻シャーロット・エリザベス(1811年4月22日 – 1878年9月11日、第2代イーリー侯爵ジョン・ロフタスの娘)の息子として、1832年1月17日に生まれ、チェシャーロスサーン英語版で洗礼を受けた[1]。1845年から1850年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1850年5月23日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1854年にB.A.、1862年にM.A.の学位を修得した[2]

1851年5月1日、チェシャー・ヨーマンリー連隊英語版の中尉に任命された[3]。1863年5月5日に大尉に昇進[4]、1881年7月1日に少佐の名誉階級を与えられた[5]。1887年5月4日にヨーマンリー連隊から辞任した[6]。1882年3月29日、チェシャー副統監に任命された[7]。1900年3月19日にチェシャー統監英語版に任命され[8]、1905年まで務めた[1]。1883年時点でチェシャーに8,876エーカーランカシャーに1,870エーカー、ダービーシャーに424エーカー、ダラム州に389エーカーの領地を所有し、合計で年収32,490ポンドに相当した[1]

1858年8月、父の議員辞任に伴いノース・チェシャー選挙区英語版で補欠選挙が行われると、エジャートンは保守党候補として出馬、無投票で当選した[9]1859年1865年の総選挙でも無投票で再選した[9]第2回選挙法改正でノース・チェシャー選挙区が分割されると[9]1868年イギリス総選挙ミッド・チェシャー選挙区英語版から出馬、3,063票(得票数1位)で当選した[10]1874年イギリス総選挙では無投票、1880年イギリス総選挙では3,868票(得票数1位)で再選した[10]

1883年2月21日に父が死去すると、エジャートン男爵位を継承した[1]。1887年にイングランド王立農業協会英語版会長、1887年から1894年までマンチェスター・シップ運河英語版社長を務めた[1]

フリーメイソンの1人であり、1886年から1900年までチェシャー州フリーメイソンのグランドマスターを務めた[11]

農業と馬の飼育に興味を持ったほか、敬虔に教会に通う人物だった[1]

1897年7月22日、連合王国貴族であるランカスター州におけるサルフォード子爵チェスター州タットンにおけるエジャートン伯爵に叙された[1][12]

1909年3月16日にイタリア王国ボルディゲーラで死去、25日にロスサーンで埋葬された[1]。エジャートン伯爵位は廃絶、エジャートン男爵位は弟アランが継承した[1]

家族

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1857年10月15日、メアリー・サラ・アマースト(Mary Sarah Amherst、1837年5月8日 – 1892年12月17日、第2代アマースト伯爵ウィリアム・アマースト英語版の娘)と結婚[1]、1女をもうけた[11]

1894年8月8日、アリス・アン・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル(Alice Anne Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville、1847年9月29日 – 1931年9月15日[15]第3代準男爵サー・グラハム・グラハム=モンゴメリー英語版の娘、第3代バッキンガム=シャンドス公爵リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィルの未亡人)と再婚した[1]。アリス・アンは再婚後も「バッキンガム公爵夫人」の称号を使用し[1]、2人の間に子供はいなかった[11]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 17.
  2. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Egerton, Wilbraham (2)" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 416. ウィキソースより。
  3. ^ "No. 21209". The London Gazette (英語). 13 May 1851. p. 1264.
  4. ^ "No. 22736". The London Gazette (英語). 15 May 1863. p. 2572.
  5. ^ "No. 25010". The London Gazette (英語). 30 August 1881. p. 4454.
  6. ^ "No. 25697". The London Gazette (英語). 3 May 1887. p. 2445.
  7. ^ "No. 25095". The London Gazette (英語). 14 April 1882. p. 1700.
  8. ^ "No. 27175". The London Gazette (英語). 20 March 1900. p. 1876.
  9. ^ a b c Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 360. ISBN 0-900178-26-4
  10. ^ a b Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 361. ISBN 0-900178-26-4
  11. ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 873.
  12. ^ "No. 26878". The London Gazette (英語). 30 July 1897. pp. 4269–4270.
  13. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 96.
  14. ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 17. ISBN 978-0-7509-0154-3
  15. ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 298. ISBN 978-0-7509-0154-3

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ウィリアム・エジャートン英語版
ジョージ・コーンウォール・リー英語版
庶民院議員(ノース・チェシャー選挙区英語版選出)
1858年 – 1868年
同職:ジョージ・コーンウォール・リー英語版
選挙区廃止
新設選挙区 庶民院議員(ミッド・チェシャー選挙区英語版選出)
1868年 – 1883年
同職:ジョージ・コーンウォール・リー英語版 1868年 – 1873年
エジャートン・リー英語版 1873年 – 1876年
ピアース・エジャートン=ウォーバートン英語版 1876年 – 1883年
次代
ピアース・エジャートン=ウォーバートン英語版
アラン・エジャートン閣下
名誉職
先代
初代ウェストミンスター公爵
チェシャー統監英語版
1900年 – 1905年
次代
第2代ウェストミンスター公爵英語版
学職
先代
ウィリアム・ボイド・ドーキンス英語版
ランカシャー・アンド・チェシャー考古協会英語版会長
1885年 – 1886年
次代
第26代クロフォード伯爵
イギリスの爵位
爵位創設 エジャートン伯爵
1897年 – 1909年
廃絶
先代
ウィリアム・エジャートン英語版
エジャートン男爵
1883年 – 1909年
次代
アラン・エジャートン