ウィリアム・ペティ=フィッツモーリス (1811-1836)
ケリー伯爵ウィリアム・トマス・ペティ=フィッツモーリス(英語: William Thomas Petty-FitzMaurice, Earl of Kerry、1811年3月30日 – 1836年8月21日)は、イギリスの政治家。ホイッグ党に所属し、1832年から1836年まで庶民院議員を務めた[1]。1811年から1818年までウィカム伯爵の、1818年から1836年までケリー伯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
編集第3代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスと妻ルイーザ・エマ(Louisa Emma、旧姓フォックス=ストラングウェイズ(Fox-Strangways)、1785年6月27日 – 1851年4月3日、第2代イルチェスター伯爵ヘンリー・フォックス=ストラングウェイズの娘)の息子として、1811年3月30日にランズダウン・ハウスで生まれた[1]。
トマス・バビントン・マコーリーは「優しく元気で、聡明で謙虚」(kind, lively, intelligent, modest、1830年の言葉)とケリー伯爵の性格を称えている[1]。
1832年イギリス総選挙でホイッグ党候補としてカーン選挙区から出馬、無投票で当選した[2]。1835年イギリス総選挙でも無投票で再選した[2]。
家族
編集1834年3月18日、オーガスタ・ラヴィニア・プリシラ・ポンソンビー(Augusta Lavinia Priscilla Ponsonby、1814年5月11日 – 1904年11月19日、第4代ベスバラ伯爵ジョン・ポンソンビーの娘)と結婚[1]、1女をもうけた[3]。
- メアリー・キャロライン(1927年9月17日没) - 1860年10月4日、パーシー・エジャートン・ハーバート(1876年10月7日没、第2代ポウィス伯爵エドワード・ハーバートの息子)と結婚、子供あり
出典
編集- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 440–441.
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British parliamentary election results 1832–1885 (英語). London: The Macmillan Press. p. 75. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ "Lansdowne, Marquess of (GB, 1784)". Cracroft's Peerage (英語). 10 July 2019. 2021年1月24日閲覧。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Earl of Kerry
- ウィリアム・ペティ=フィッツモーリス - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 チャールズ・リチャード・フォックス トマス・バビントン・マコーリー |
庶民院議員(カーン選挙区選出) 1832年 – 1836年 |
次代 ジョン・フォックス=ストラングウェイズ閣下 |