ウィリアム・オンズロー (第4代オンズロー伯爵)
第4代オンズロー伯爵ウィリアム・ヒラー・オンズロー(英: William Hillier Onslow, 4th Earl of Onslow, GCMG, PC、1853年3月7日 - 1911年10月23日)は、イギリスの貴族、政治家。
経歴
編集1853年3月7日、ジョージ・オンズロー(第2代オンズロー伯爵トマス・オンズローの孫)とメアリー(旧姓ロフタス)の間の息子としてイングランド・ハンプシャー・オールド・アルレスフォードに生まれる[1]。
イートン校を卒業[1]。在学中の1870年10月24日に大伯父の死により第4代オンズロー伯爵位を継承した[2]。その後、オックスフォード大学エクセター・カレッジへ進学した[1]。
保守党の貴族院議員として1880年と1886年から1887年にかけて侍従たる議員を務めた。1887年から188年まで植民地省政務次官、1888年には通商庁政務次官、1889年から1892年にかけてニュージーランド総督兼最高司令官(Governor General and Commander-in-Chief of New Zealand)、1895年から1900年までインド担当省政務次官、1900年から1903年にかけて植民地省政務次官、1903年から1905年にかけて農業庁長官を務めた[1][2]。1903年に農業庁長官に就任した際に枢密顧問官に列した[3]
1895年から1911年にかけてはフリーメイソンのイングランド・連合グランドロッジのサリー州におけるグランドマスター代理を務めた[2]。1905年から1911年にかけては貴族院の委員会の議長を務めた[2]。
栄典
編集爵位/準男爵位
編集1870年10月24日に大伯父アーサー・オンズロー以下の5つの爵位・準男爵位を継承した[2][1]。
- シュロップシャー州におけるオンズローの第4代オンズロー伯爵
- (4th Earl of Onslow, of Onslow in the County of Shropshire)
- (1801年6月19日連合王国貴族爵位)
- サリー州におけるクランリーの第4代クランリー子爵
- (4th Viscount Cranley, of Cranley in the County of Surrey)
- (1801年6月19日連合王国貴族爵位)
- サリー州におけるクランドンの、およびシュロップシャー州におけるオンスローの第7代オンズロー男爵
- (7th Baron Onslow, of Onslow in the County of Shropshire and of Clandon in the County of Surrey)
- (1716年6月19日創設グレートブリテン貴族爵位)
- サリー州におけるインバーコートの第4代クランリー男爵
- (4th Baron Cranley, of Imbercourt in the County of Surrey)
- (1776年5月20日創設グレートブリテン貴族爵位)
- 第8代(サリー州における西クランドンの)準男爵
- (8th Baronet "of West Clandon, co. Surrey")
- (1674年5月8日創設イングランド準男爵位)
勲章
編集- 1887年、聖マイケル・聖ジョージ騎士団(勲章)ナイトコマンダー(KCMG)
- 1889年、聖マイケル・聖ジョージ騎士団(勲章)ナイト・グランド・クロス(GCMG)[2]
家族
編集1875年に第3代ガードナー男爵アラン・ガードナーの娘フローレンスと結婚し、彼女との間に以下の4子を儲けた[1]。
- 第1子(長女)ドロシー・イヴリン・オーガスタ・オンズロー(生没年不詳) - 初代ハリファックス伯爵エドワード・ウッドと結婚
- 第2子(長男)リチャード・ウィリアム・アラン・オンズロー(1876年 - 1945年) - 第5代オンスロー伯爵位を継承。
- 第3子(次女)グウェンドリン・フローレンス・メアリー・オンズロー(1881年 - 1966年) - 第2代アイヴァー伯爵ルパート・ギネスと結婚
- 第4子(次男)ヴィクター・アレグザンダー・ハーバート・ヒュイア・オンズロー(1890年 - 1922年)
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f g Lundy, Darryl. “William Hillier Onslow, 4th Earl of Onslow” (英語). thepeerage.com. 2015年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Onslow, Earl of (UK, 1801)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年10月8日閲覧。
- ^ "No. 27555". The London Gazette (英語). 22 May 1903. p. 3239.
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、第4代オンズロー伯爵に関するカテゴリがあります。
公職 | ||
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先代 第4代ダンレイヴン伯爵 |
植民地省政務次官 1887年–1888年 |
次代 ヘンリー・ド・ワームス男爵 |
先代 ヘンリー・ド・ワームス男爵 |
通商庁政務次官 1888年–1889年 |
次代 第6代バーリーのバルフォア卿 |
先代 第11代リーアイ卿 |
インド担当省政務次官 1895年–1900年 |
次代 第6代ハードウィック伯爵 |
先代 第2代セルボーン伯爵 |
植民地省政務次官 1900年–1903年 |
次代 第9代マールバラ公爵 |
先代 ロバート・ウィリアム・ハンベリー |
農業庁長官 1903年–1905年 |
次代 エイルウィン・フェローズ |
官職 | ||
先代 サー・ウィリアム・ジェーボイス |
ニュージーランド総督 1889年–1892年 |
次代 第7代グラスゴー伯爵 |
イギリスの爵位 | ||
先代 アーサー・オンズロー |
第4代オンズロー伯爵 1870年–1911年 |
次代 リチャード・オンズロー |