ウィラビー・バーティー (第3代アビンドン伯爵)
第3代アビンドン伯爵ウィラビー・バーティー(英語: Willoughby Bertie, 3rd Earl of Abingdon、1692年11月28日 – 1760年6月10日)は、イギリスの地主、政治家。トーリー党所属。
生涯
編集ジェームズ・バーティー(1735年10月18日没、初代アビンドン伯爵ジェームズ・バーティーの息子)とエリザベス・ウィラビー(第7代パラムのウィラビー男爵ジョージ・ウィラビーの娘)の息子として、1692年11月28日に生まれた[1]。1707年11月27日、オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジに入学した[2]。
アビンドン伯爵家はウェストベリーの荘園領主だったこともあり、ウェストベリー選挙区をほとんど掌握していた。しかし、1715年イギリス総選挙でウィラビー・バーティーが出馬したときはホイッグ党所属のクーパー男爵の支持を受けたジョージ・エヴァンスとチャールズ・アランソンが立候補してバーティー家の支配を崩そうとした[3]。投開票のとき、ウェストベリー市長がトーリー党員2名(バーティーとフランシス・アンズリー)の当選を宣告したのに対し、治安官がホイッグ党員2名(エヴァンスとアランソン)の当選を宣告するという事件が発生[4]、3月28日にはバーティーとアンズリーの当選が有効とされたが、後に選挙申立により2人に投票した者の一部が選挙権を剥奪され、6月1日にエヴァンスとアランソンの当選が宣告された。バーティーはそれ以降選挙に出馬することはなかったが、父のほうは1722年イギリス総選挙でアンズリーとともに当選した[4][5]。
1743年に伯父モンタギューが死去すると、アビンドン伯爵の爵位を継承した[1]。以降もトーリー党の一員であり続け、1745年ジャコバイト蜂起にあたってもハノーヴァー朝を守るためのオックスフォードシャーの協会への参加を拒否した[5]。
家族
編集1727年8月、フィレンツェでアンナ・マリア・コリンズ(Anna Maria Collins、1763年12月21日没、サー・ジョン・コリンズの娘)と結婚した[1]。
- エリザベス・ペレグリン(Elizabeth Peregrine、1728年 – 1804年) - サー・ジョン・アンドリュー・ガリーニと結婚
- ジェーン(1730年頃 – 1791年2月25日) - トマス・クリフトン(Thomas Clifton)と結婚
- ブリジット(1732年 – 1760年12月9日) - 生涯未婚
- ジェームズ(1735年9月25日 – 1745年10月12日) - ライコートでの火事により死亡
- アン・エレノーラ(1737年頃 – 1804年4月19日) - 第7代ウェンマン子爵フィリップ・ウェンマンと結婚
- ウィラビー(1739年/1740年 – 1799年) - 第4代アビンドン伯爵、子供あり
- ペレグリン(1741年 – 1790年) - 海軍軍人
- メアリー(1746年11月12日 – 1826年7月22日) - マイルズ・ステイプルトン(Miles Stapleton、1809年没)と結婚
- ソフィア(1748年11月6日 – 1760年) - 生涯未婚
死後の1764年、アビンドン伯爵の遺産の受託者らは遺産のうち、オックスフォードシャーでの領地の一部を売却した。売却の内訳はウェンドルベリーが第2代準男爵サー・エドワード・ターナーに[6]、チェスタートンが第4代マールバラ公爵ジョージ・スペンサーに売却されており[7]、ウィルトシャーではマーデンがジョージ・ウィリー(George Willy)に[8]、パットニーがロバート・エイモア(Robert Amor)に売却された[9]。
出典
編集- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 47–48.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford. pp. 106–141.
- ^ Lea, R. S. (1970). "Allanson, Charles (?1662-1729), of St. Andrew's, Holborn.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust.
- ^ a b Lea, R. S. (1970). "Westbury". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust.
- ^ a b Lea, R. S. (1970). "BERTIE, Willoughby (1692-1760), of Wytham Abbey, Berks. and Rycote, Oxon.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust.
- ^ Lobel, Mary D, ed. (1959). "Parishes: Wendlebury". A History of the County of Oxford (英語). Vol. 6. London: Victoria County History. pp. 338–346. 2016年1月31日閲覧。
- ^ Lobel, Mary D., ed. (1959). "Parishes: Chesterton". A History of the County of Oxford (英語). Vol. 6. London: Victoria County History. pp. 92–103. 2016年10月16日閲覧。
- ^ Baggs, A P; Crowley, D A; Pugh, Ralph B; Stevenson, Janet H; Tomlinson, Margaret (1975). "Parishes: Marden". In Crittall, Elizabeth (ed.). A History of the County of Wiltshire (英語). Vol. 10. London: Victoria County History. pp. 119–125.
- ^ Baggs, A P; Crittall, Elizabeth; Freeman, Jane; Stevenson, Janet H (1980). "Parishes: Patney". In Crowley, D A (ed.). A History of the County of Wiltshire (英語). Vol. 11. London: Victoria County History. pp. 203–208.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ヘンリー・バーティー フランシス・アンズリー |
庶民院議員(ウェストベリー選挙区選出) 1715年 同職:フランシス・アンズリー |
次代 ジョージ・エヴァンス チャールズ・アランソン |
イングランドの爵位 | ||
先代 モンタギュー・ヴェナブルズ=バーティー |
アビンドン伯爵 1743年 – 1760年 |
次代 ウィラビー・バーティー |