ウィザードWizzard)は、イングランド出身のロックバンド

ウィザード
Wizzard
ドイツTV出演時 (1974年5月)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
ウェスト・ミッドランズ州バーミンガム
ジャンル ポップロック
グラムロック
ハードロック
プログレッシブロック
サイケデリック・ロック
ジャズ・ロックほか
活動期間 1972年 - 1975年
レーベル ハーヴェスト・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
ユナイテッド・アーティスツ・レコード
メンバー ロイ・ウッド
リック・プライス
マイク・バーニー
ニック・ペンテロウ
チャーリー・グリマ
キース・スマート
ボブ・ブレイディ
旧メンバー ヒュー・マクダウェル
ビル・ハント

エレクトリック・ライト・オーケストラ (ELO)」の初期メンバーだった、ロイ・ウッドが主宰したグループ。様々な音楽性を内包し、当時はグラムロック・バンドとしても扱われた。1975年で解散し僅か3年の短命で終わっている。

概略

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創設者ロイ・ウッド (1974年)

ザ・ムーブ」や「エレクトリック・ライト・オーケストラ (ELO)」の主力メンバーだったロイ・ウッド[1]1972年の同グループ脱退後に結成。7〜8人で編成する大所帯で、奇抜なルックスからグラムロックバンドの扱いを受けていた。

アルバムは『ウィザード・ブリュウ』(1973年)、『イントロデューシング・エディ・アンド・ザ・ファルコンズ』(1974年)を発表。当時のロイ・ウッドがやりたかったスタイルを詰め込んだ作品であった[2]フィル・スペクタービーチ・ボーイズへのオマージュのような、ロイならではのポップな楽曲も発表した。1972年〜1974年の間に、全英チャート1位を獲得したシングル「シー・マイ・ベイビー・ジャイヴ」「Angel Fingers」や、クリスマスの定番となった「I Wish It Could Be Christmas Everyday(毎日がクリスマス)」(1974年、全英4位。その後1981年、1984年と全英でリバイバルヒットし再度ランクインした)など、多くのヒット曲を生み出した。

しかしロイによる、複数のレコード会社との複雑な契約による影響で活動が制約されたことや、マネージメント(Don Arden)を同じくする「ELO」が米国での活動が軌道に乗り始めた事で、同グループにシフトしていった事情などが重なり、1975年の初の全米ツアー中に早々と解散してしまった。

当時、全米ツアー中のライブを見た音楽評論家などに依れば、ツインドラム+ロイのギター+ホーンセクションの編成でウォール・オブ・サウンドをステージで再現する「ウィザード」の圧倒的なライブは、『まるで音の洪水のようである』と評されており、米国での評判も上々であった。

その後は2000年に、未発表音源集『メイン・ストリート』がウィザード名義の新作として発表した。

メンバー

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最終ラインナップ

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旧メンバー

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  • ヒュー・マクダウェル Hugh McDowell - チェロ/キーボード (1972年-1973年)
  • ビル・ハント Bill Hunt - キーボード/ホルン (1972年-1974年)

ディスコグラフィ

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アルバム

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  • 『ウィザード・ブリュウ』 - Wizzard Brew (1973年) ※全英29位
  • 『イントロデューシング・エディ・アンド・ザ・ファルコンズ』 - Introducing Eddy And The Falcons (1974年) ※全英19位
  • 『メイン・ストリート』 - Main Street (2000年)

主なシングル曲

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  • Ball Park Incident (1972年、UK#6)
  • See My Baby Jive (1973年、UK#1)
  • Angel Fingers (1973年、UK#1)
  • I Wish It Could Be Christmas Everyday (1973年、UK#4)
  • Rock 'n' Roll Winter (1974年、UK#6)
  • This Is The Story Of My Love (Baby) (1974年、UK#34)
  • Are You Ready To Rock (1974年、UK#8)

脚注

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  1. ^ ジェフ・リンとロイ・ウッドが20年ぶりに再会”. amass (2014年3月14日). 2018年1月24日閲覧。
  2. ^ ロイ・ウッド関連のスタジオ・アルバム5タイトルを収めた廉価5CDボックスセットが発売”. amass (2014年10月4日). 2018年1月24日閲覧。