イヴ2世 (ソワソン伯)
イヴ2世(Yves II, ? - 1178年)は、ネール領主ラウル1世とレイントルード・ド・ウー=ソワソン(ソワソン伯ギヨーム・ビュザックの娘)の息子。ネール領主、ソワソン伯(在位:1141年 - 1178年)。ソワソン伯ルノー3世の死後、ソワソン司教ジョスラン・ド・ヴィエルジーによりソワソン伯の継承者として選ばれた[1][2]。
イヴ2世 Yves II | |
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ソワソン伯 | |
在位 | 1141年 - 1178年 |
死去 |
1178年 |
配偶者 | ヨランド・ド・エノー |
家名 | ネール家 |
父親 | ラウル1世・ド・ネール |
母親 | レイントルード・ド・ウー=ソワソン |
生涯
編集1146年にヴェズレーにおいてクレルヴォーのベルナールが説教を行った後、イヴはフランス王ルイ7世や多くのフランス貴族とともに第2回十字軍に参加した[3]。イヴは1148年6月にアッコで行われた十字軍会議の一員であり、1149年にアンティオキア女公コンスタンスの最初の夫レーモン・ド・ポワティエが亡くなった後、コンスタンス女公に求婚した多くの求婚者の1人であった[4]。
イヴはエノー伯ボードゥアン4世とその妻アリス・ド・ナミュールの娘ヨランドと結婚した[5]。2人の間には子供がいなかった。
イヴの死後、甥のコノンがソワソン伯となった[6]。
脚注
編集- ^ Bisson 1995, p. 21.
- ^ Slack 2001, p. 75.
- ^ Bradbury 2007, p. 154.
- ^ Hodgson 2007, p. 221.
- ^ Gislebertus of Mons 2005, p. 40.
- ^ Gislebertus of Mons 2005, p. 35.
参考文献
編集- Bisson, Thomas N., ed (1995). Cultures of Power: Lordship, Status, and Process in Twelfth-Century Europe. University Pennsylvania Press
- Bradbury, Jim (2007). The Capetians: Kings of France 987-1328. Hambledon Continuum
- Gislebertus of Mons (2005). Chronicle of Hainaut. The Boydell Press
- Hodgson, Natasha R. (2007). Women, Crusading and the Holy Land in Historical Narrative. The Boydell Press
- Slack, Corliss Konwiser (2001). Crusade Charters, 1138-1270. Arizona Center for Medieval and Renaissance Studies
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