イリアン・ストヤノフ
イリアン・ストヤノフ(ブルガリア語: Илиян Стоянов[1]、1977年1月20日 - )は、ブルガリア・キュステンディル出身の元サッカー選手、指導者。
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名前 | ||||||
愛称 | イリアン、ストやん、Коловати | |||||
ラテン文字 | Ilian STOYANOV | |||||
ブルガリア | Илиян Стоянов | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブルガリア | |||||
生年月日 | 1977年1月20日(47歳) | |||||
出身地 | キュステンディル | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1996 | CSKAソフィア | 3 | (0) | |||
1996-2000 | ヴェルブジド | 88 | (3) | |||
2000-2005 | レフスキ・ソフィア | 90 | (2) | |||
2005-2007 | ジェフユナイテッド千葉 | 65 | (2) | |||
2007-2010 | サンフレッチェ広島 | 85 | (6) | |||
2011 | ファジアーノ岡山 | 26 | (2) | |||
通算 | 357 | (15) | ||||
代表歴 | ||||||
1998-2010 | ブルガリア | 42 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
人物
編集ブルガリア代表にも選出されたセンターバック。母国ではКоловати(Collovati)の愛称で呼ばれている。
強いキャプテンシーを持ち[2]、ディフェンダーでありながら、優れたボールコントロール技術の持ち主であり、最後尾からのロングパスを多用するビルドアップや鋭いオーバーラップを得意としている[3][4]。その脅威から相手FWからマンツーマンでマークされることも少なくない[5]。橋本英郎は、自身のキャリアで対戦して衝撃を受けた選手11人の1人に名前を挙げた[6]。
そのテクニックを活かしMF(ボランチ)でも起用される[4][7]。ブルガリア時代は左SBとしてもプレー。CBとしては珍しいFKの名手。
来歴
編集現役時代
編集1995年、CSKAソフィアに入団。その後レフスキ・ソフィア等でプレーし、ブルガリア代表ではEURO2004で2試合に出場した。ドイツワールドカップ予選にも出場した[8]。
2005年3月からジェフユナイテッド市原・千葉に所属[8]、開幕戦の名古屋グランパス戦でJリーグデビュー[9]、7月18日の大宮アルディージャ戦で初ゴールを決めた[9]。イビチャ・オシム監督の下でリベロとしてプレーし中心選手として活躍、同年ナビスコカップ決勝のガンバ大阪戦でも先発し[10]、チーム史上初タイトルの獲得に貢献した。
2007年6月、アマル・オシム監督に対して批判的な発言を行い、それがスポーツ新聞により報道された[11]。これに対し千葉フロントは、同年6月16日ストヤノフを謹慎処分とし、同月17日対ヴァンフォーレ甲府戦に出場させないことを発表[11]。同月22日付けで謹慎処分は解除されたが、同月27日残留させないことを決定、事実上の解雇通告を受けた[11]。理由は「監督に対する批判を外部に行い、再三の説得に応じず謝罪を拒否した行為を、著しい規律違反と判断したため」[11]。その後、7月23日付けで契約解除が発表された[11]。
同年8月12日、ダリオ・ダバツらのケガで代役のディフェンダーの獲得を狙っていたサンフレッチェ広島と契約[3]、MFとしてプレー[7] した後、本来のリベロでプレーするもののJ2に降格してしまう。同年の天皇杯では決勝進出に貢献した。降格により退団が予想されたが、「自分を苦しい時に拾ってくれたクラブを去るわけにはいかない。」と残留表明をする[12]。以降、リベロとして中心選手として攻守にわたり活躍した[13]。
2009年2月、スタニミル・ストイロフがブルガリア代表監督に就任、経験のあるDFとして指名され4年ぶりに代表に選出され[14]、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選にレギュラーとして出場した。2010年8月にも代表に選出された[15]。しかし、代表選出の影響で怪我が続き安定して出場できなかったため、サンフレッチェ広島では、2010年末に構想外となった[4][13]。
2011年は、J2・ファジアーノ岡山に移籍[4]。チームがこの年から戦術を3バックに変更したこともあり、ディフェンスラインの中央で起用された。多くのプレースキックを担当しチームトップの8アシストを挙げる[16] など攻撃面では貢献したが、開幕戦で怪我をした[17] 影響もありコンディションが上がらず、シーズン終盤の4試合と天皇杯では出番を失った[18]。同年末を持って現役引退する[19]。延期されていたJ2第6節、10月19日開催のガイナーレ鳥取戦でのゴールが現役ラストゴールとなった[20]。
引退後
編集2012年から、広島でレストラン経営[21] と若年層サッカー指導者として活躍している[22]。またフットサルチームのdios hirosima(ディオス・ヒロシマ)を立ち上げ、広島県フットサルリーグ3部で活動しながら、欧州サッカー連盟の監督ライセンス獲得を目指している[23]。
2014年3月末をもって広島の店をたたみ、以前からの熱心な勧誘を受けて山口県東部へ活動拠点を移転し周南市周辺を活動範囲として"FCストヤノフサッカーアカデミー"を開校している[24][25]。なお店舗はプロデュースの形で徳山駅前にレストランを開店している[25]。
2021年10月6日、カマタマーレ讃岐トップチームのコーチに就任した[26]が、シーズン終了後に退任。
2023年に相生学院サッカー部のコーチに就任。
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブルガリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1995-96 | CSKAソフィア | Aグルパ | 3 | 0 | |||||||
1996-97 | ヴェルブジド・ キュステンディル |
17 | 0 | ||||||||
1997-98 | 27 | 1 | |||||||||
1998-99 | 22 | 1 | |||||||||
1999-00 | 22 | 1 | |||||||||
2000-01 | レフスキ・ソフィア | 20 | 1 | ||||||||
2001-02 | 25 | 0 | |||||||||
2002-03 | 19 | 1 | |||||||||
2003-04 | 18 | 0 | |||||||||
2004-05 | 8 | 0 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 千葉 | 5 | J1 | 30 | 1 | 8 | 0 | 2 | 0 | 40 | 1 |
2006 | 26 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | |||
2007 | 9 | 1 | 4 | 0 | - | 13 | 1 | ||||
広島 | 2 | 13 | 0 | - | 5 | 0 | 18 | 0 | |||
2008 | J2 | 32 | 2 | - | 4 | 0 | 36 | 2 | |||
2009 | J1 | 23 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 26 | 5 | ||
2010 | 17 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 20 | 0 | |||
2011 | 岡山 | 5 | J2 | 26 | 2 | - | 0 | 0 | 26 | 2 | |
通算 | ブルガリア | Aグルパ | 181 | 5 | |||||||
日本 | J1 | 118 | 6 | 27 | 1 | 8 | 0 | 153 | 7 | ||
日本 | J2 | 58 | 4 | - | 4 | 0 | 62 | 4 | |||
総通算 | 357 | 15 | 27 | 1 | 12 | 0 | 396 | 16 |
- 2005年3月5日 - Jリーグ初出場 - 名古屋グランパスエイト戦(瑞穂陸上競技場)
- 2005年7月18日 - Jリーグ初ゴール - 大宮アルディージャ戦(市原臨海競技場)
- 2005年 Jリーグベストイレブン
- その他の公式戦
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2008年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2010 | 広島 | 2 | 3 | 1 |
通算 | AFC | 3 | 1 |
- その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
指導歴
編集脚注
編集- ^ ブルガリア語ラテン翻字: Ilian Stoyanov
- ^ “巻誠一郎が選ぶJ歴代ベスト11「千葉から4選手を選び、監督は…」”. サッカーダイジェスト. (2020年5月4日) 2022年9月19日閲覧。
- ^ a b “元千葉DFのストヤノフ獲得へ”. 中国新聞(Internet Archive) (2007年8月12日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ a b c d “ブルガリア代表DF ストヤノフ獲得”. 山陽新聞 (2010年12月28日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “ストヤノフ、密着マークにも自信たっぷり”. 中国新聞 (2008年5月15日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ 橋本英郎 (2020年5月11日). “橋本英郎が選ぶJ歴代ベスト11「対戦したから分かる“衝撃を受けた11人”! すべてで圧倒されたのは…」”. サッカーダイジェスト 2022年9月19日閲覧。
- ^ a b “広島に追い風だ!ストヤノフに強力援軍”. ニッカンスポーツ (2007年10月13日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ a b “イリアン・ストヤノフ選手加入について”. ジェフ千葉公式 (2005年3月2日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ a b “ストヤノフ”. /data.j-league 17 April 2020閲覧。
- ^ “2005Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝”. /data.j-league 17 April 2020閲覧。
- ^ a b c d e “イリアン・ストヤノフ選手について”. ジェフ千葉公式 (2007年7月24日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ ““激しさ”持つ助っ人・ストヤノフに期待”. スポーツニッポン (2008年1月6日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ a b “ストヤノフ退団 日本での現役続行望む”. 中国新聞 (2010年11月28日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “ストヤノフ選手ブルガリア代表選手に選出のお知らせ”. J's GOAL (2009年2月4日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “ブルガリア代表にストヤノフ選出”. 中国新聞 (2010年8月8日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “TBS「SUPER SOCCER:J2アシストランキング」”. 2014年3月1日閲覧。
- ^ “ストヤノフ選手怪我について”. ファジアーノ岡山公式 (2011年3月8日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “検証ファジJ3年目<中>守備”. 山陽新聞 (2011年12月7日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “Коловати спира с футбола” (ブルガリア語). dnes.bg (2011年12月7日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “2011Jリーグ ディビジョン2 第6節”. /data.j-league 17 April 2020閲覧。
- ^ “元プロサッカーのストヤノフ選手、広島にレストラン開業-引退後の夢かなえる”. 広島経済新聞 (2012年8月1日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ “イリヤン・ストヤノフ様”. 行政書士法人中井イミグレーションサービス (2012年3月25日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ 朝日新聞 2012年7月12日夕刊4版 15ページ
- ^ “元サンフレ選手が児童育成へ ”. 中国新聞 (2013年12月31日). 2014年3月1日閲覧。
- ^ a b “サッカー元ブルガリア代表 周南で少年指導”. 読売新聞 (2014年6月24日). 2014年6月25日閲覧。
- ^ 『【トップチーム】イリアン・ストヤノフ氏 トップチーム コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)2021年10月6日 。2021年10月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- イリアン・ストヤノフ - National-Football-Teams.com
- イリアン・ストヤノフ - Soccerway.com
- イリアン・ストヤノフ - FootballDatabase.eu
- イリアン・ストヤノフ - WorldFootball.net
- イリアン・ストヤノフ - Transfermarkt.comによる選手データ
- イリアン・ストヤノフ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- イリアン・ストヤノフ - FIFA主催大会成績
- イリアン・ストヤノフ - J.League Data Siteによる選手データ
- イリアン・ストヤノフ - Fussballdaten.de
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