イマント・フレイベルグ
イマント・フレイベルグ(ラトビア語: Imants Freibergs、1934年3月12日 - )[1]は、ラトビアのファーストハズバンド(大統領夫君)。同国第6代大統領ヴァイラ・ヴィーチェ=フレイベルガの配偶者である。
フレイベルグは1934年3月12日、ヴァルミエラに生まれ、幼少期はリガやイェルガヴァで過ごした[2]。1944年にドイツ国に移住し、1948年にはフランスへ移住した。その後カナダへ渡り、1999年にラトビアに帰国[1]。
1960年にトロント大学を卒業[1]。1961年から1963年までモントリオールのIBMに勤務した。続いてマギル大学やケベック大学、オックスフォード大学、ラトビア大学などで情報学の教授として教鞭をとった[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e Latvijas enciklopēdija. 2. sējums. Rīga : Valērija Belokoņa izdevniecība. 2003. 527.—528. lpp. ISBN 9984-9482-2-6.
- ^ “Imants Freibergs”. Latvijaslaudis.lv. 2013年5月5日閲覧。