イブン・ファッルハーン・タバリー
イブン・ファッルハーン・タバリー(Ibn Farrukhān al-Ṭabarī, fl. 762-812)は、アラビア科学における大翻訳時代の翻訳家、天文学者、占星術師[1]。生涯について詳しいことは不明であるが、バグダードで西暦762年から812年の間に活動していたことがわかっている(#生涯)[1]。著作のラテン語翻訳が、中世のラテン語キリスト教世界でよく読まれ、オマル・ティベリアデス Omar Tiberiades というラテン名がつけられた(#著作)[2]。
西暦800年ごろにシドンのドロテウスの『五書 Πεντάτευχος』(厳密にはそのパフラヴィー語(中期ペルシア語)翻訳書)を、アラビア語へ翻訳した[2]。
生涯
編集イブン・ファッルハーン・タバリーのクンヤは「アブーハフス」、イスムは「ウマル」である(Abū Ḥafṣ ‘Umar b. Farrukhān al-Ṭabarī)[1][2]。ナサブが示唆する父親の名前「ファッルハーン」は古い時代のイラン人貴族の名前であり、「タバリー」はカスピ海南岸のタバリスターン地方を示唆するニスバである[1]。ウマルの父親はタバリスターン出身のイスパーフブード公家の者と推定されている。
イブン・ファッルハーン・タバリーの生涯については、よくわかっていない[1]。占星術師アブーマァシャル・バルヒー(9世紀)によると、アッバース朝のカリフ・マァムーンの宰相ファドル・ブン・サフルがイブン・ファッルハーン・タバリーをマァムーンに紹介し、バイトルヒクマ(知恵の館)に招聘したという[1]。「イブン・ファッルハーンがマァムーンの時代に始めてバグダードに来た」という説は、その後アブーマァシャルを参照したサーイド・アンダルスィー(11世紀)の Kitāb tubayāt al-umam やキフティー(13世紀)の Ta‘rīkh al-hukamā’ によって繰り返される[1]。
しかし、科学史学者のデイヴィッド・ピングリーによる指摘によると、イブン・ファッルハーン・タバリーの名前はカリフ・マンスールの命により新都バグダードの建設に着工する日にちを決めた占星術師の一団の中に見える[1][3]:104。ヤァクービー(9世紀)の歴史書 Kitāb al-Buldān には、ナウバフト、ファザーリーと並んで、イブン・ファッルハーン・タバリーの名前が「ムナッジミーン munajjimīn」すなわち「計算の達人」としてこの占星術を執り行ったことが記載されている[3]:104。彼らが占った新都バグダード建設着工に最も適した日は、西暦に換算すると762年7月30日であった[1][3]:104。
ピングリーによると、マンスールの時代にはすでにイブン・ファッルハーンはバグダードで占星術師として活動しており、アブーマァシャル・バルヒーの説は誤りである[1][2]。さらにイラン学者のザビーホッラー・サファーは、宰相ヤフヤー・バルマキーが(バグダードの都市計画のためだけでなく)パフラヴィー語(中期ペルシア語)の書籍の翻訳のため、カリフ・マフディーの命によりイブン・ファッルハーン・タバリーをバグダードに招聘したと述べている[4]。ヒジュラ暦200年頃に亡くなった[5]。
評価
編集イブン・ファッルハーン・タバリーの学識は高く評価されている。アブーライハーン・ビールーニーは、著書『マスウード宝典』中で、イブン・ファッルハーンの天文学的実践の要約を示した[6]。ファフルッディーン・ラーズィーも、星の位置と観測についてイブン・ファッルハーンを引用している[7]。アブーマァシャル・バルヒーは著書の中で、フナイン・ブン・イスハーク、ヤァクーブ・ブン・イスハーク・キンディー、サービト・ブン・クッラとともにウマル・ブン・ファッルハーン・タバリーを、イスラーム世界で最も優れた翻訳者に挙げている [8]。
著作
編集アースターネ・ゴドセ・ラザヴィーなどの世界のいくつかの図書館が作成した写本のリストによると、数十冊の本の著者がイブン・ファッルハーンに帰せられる。著名な著作としては、『タフスィール・キターブ・アルアルバア』(プトレマイオスの『テトラビブロス』の註解書)、『マハースィン』、『星々の線における諸哲学と諸矛盾の統合』、『マワーリード』、『リサーラ・フィー・アフカーム・ル・ナジューム』、『マアーニー』、『ジャワーミゥ・ル・アスラール・フィー・イルム・ル・ナジューム』がある。 ブロッケルマンによると、伝世した著作は13冊である。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j Pingree, David (2022-02-28), “‘Umar Ibn Al-Farrukhan Al-Ṭabari”, Complete Dictionary of Scientific Biography
- ^ a b c d Holden, James Herschel (2006), A History of Horoscopic Astrology, American Federation of Astrologers Inc., pp. 111-112, ISBN 978-0-86690-463-6
- ^ a b c Pingree, David (1970). “The Fragments of the Works of Al-Fazārī”. Journal of Near Eastern Studies (University of Chicago Press) 29 (2): 103–123. JSTOR 543820.
- ^ صفا،1361:109/1)
- ^ (کحاله،1957 :7/304)
- ^ (بیرونی ،1422ق:3/401)
- ^ (فخررازی، بی تا:8/172)
- ^ ابنصاعد، التعریف بطبقات الامم، ص 192؛ ابن ابیاصیبعة، عیونالانباء فی طبقات الاطباء، ص 286.
- Young, edited by M.J.L. ; Latham, J.D. ; Serjeant, R.B. (2006). Religion, learning, and science in the ʻAbbasid period (1. publ. ed.). Cambridge: Cambridge University Press. p. 293. ISBN 978-0-521-02887-5. These Iranian astrologers include Nawbakht, Masha'allah b. Athari al-Basri and Abu Hafs ‘Umar b. al-Farrukhan al-Tabari;
- بیرونی، ابوریحان. (۱۴۲۲ق). قانون المسعودی. مصحح عبدالکریم سامی. جلدسوم. بیروت: دارالکتب الاالعلمیه.
- ساروی، مهدی. (۱۳۹۴). عمربن فرخان طبری. مجموعه شناخت نامه مازندران. تهران: انتشارات رسانش نوین.
- صفا، ذبیحالله. (۱۳۳۹). «دورنمایی از سیر علوم و حکمت در ایران». دانشکده ادبیات و علوم انسانی دانشگاه تهران. س۸. ش۲. ص۱۳–۲۴.
- فخر رازی، محمدبن عمر. (بی تا). المطالب العالیه. محقق احمدحجازی. ج۸. بیروت: دارالکتاب العربی.
- کحاله، عمررضا. (۱۹۵۷م). معجم المؤلفین. ج۷. بیروت: دارصادر.