イドリース2世
イドリース2世(アラビア語 : إدريس الثاني, Idris II, 791年10月15日[1] - 828年8月29日)は、モロッコを支配したイドリース朝の第2代イマーム(在位:803年 - 828年)。イドリース朝の全盛期を創出した英主である。
イドリース2世 إدريس الثاني | |
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イドリース朝第2代イマーム | |
在位 | 803年2月26日 - 828年8月28日 |
全名 |
イドリース・アル・アズハル・ベン・イドリース・ベン・アブドゥッラー・アル・カメル إدريس الْأَزْهَرَ بْن إدريس بْن عَبْدِ اللهِ الْكَامِلِ |
出生 |
791年10月14日 イドリース朝、ヴォルビリス |
死去 |
828年8月29日(36歳) イドリース朝、フェズ |
埋葬 | モロッコ、フェズ |
子女 |
ムハンマド ウマル カースィム |
王朝 | イドリース朝 |
父親 | イドリース1世 |
母親 | カンザ |
宗教 | イスラム教シーア派(ザイド派) |
生涯
編集父は初代のイドリース1世である。生母はベルベル人奴隷で[1]、妾腹の息子だと伝わっている。791年(793年説もある)に父が毒殺されたため、跡を継いだ。イドリース2世は王朝繁栄のために積極的な人材招聘を行い、スペインやイフリーキーヤ(チュニジア)から500人のアラブ兵を招聘してモロッコ北部のアラブ化を行った。また、モロッコ南部で敵対していたベルベル人のマスムーダ族を討って勢力を拡大した。808年(809年とも)にフェズに新都を建設し、ここにコルドバやイラワーンから移民の入植を奨励して都は大いに繁栄した[1]。
828年に死去し、跡を長男ムハンマド・イブン・イドリースが継いだ。
脚注
編集参考文献
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