イシュトヴァーン・アンタル
ハンガリー出身のピアノ奏者
イシュトヴァーン・アンタル(ハンガリー語: István Antal、1909年1月27日 - 1978年9月25日)は、ハンガリー出身のピアニスト[1]。
イシュトヴァーン・アンタル | |
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基本情報 | |
生誕 | 1909年1月27日 |
出身地 | ハンガリー王国 |
死没 | 1978年9月25日(69歳没) |
学歴 | ウィーン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
経歴
編集1909年、ブダペストで数学者のマールク・アンタルの息子として生まれた。1925年にウィーン音楽院に留学してピアノを学び、卒業後にベルリンに出てレオニード・クロイツァーの薫陶を受けた。1937年に帰国してからはイシュトヴァーン・シュトラッサーとレオ・ヴェイネルに作曲と音楽理論を学んだ。
1945年からハンガリー国立音楽高校のピアノ講師となり、1948年から亡くなるまでフランツ・リスト音楽院で後進の指導に当たった。1954年にフランツ・リスト賞を贈られ、翌年にはハンガリー政府から功労芸術家の称号を受けた。
1978年、ブダペストにて没。
家族・親族
編集- 父:マールク・アンタルは数学者。
- 兄:ヤーノシュ・アンタルは詩人。
外部リンク
編集脚注
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