アーデルグンデ・フォン・バイエルン (1823-1914)
アーデルグンデ・フォン・バイエルン(ドイツ語:Adelgunde von Bayern, 1823年3月19日 - 1914年10月28日)は、バイエルン王国の王族。全名はアーデルグンデ・アウグステ・シャルロッテ・カロリーネ・エリーザベト・アマーリエ・マリー・ゾフィー・ルイーゼ(Adelgunde Auguste Charlotte Caroline Elisabeth Amalie Marie Sophie Luise)。バイエルン王ルートヴィヒ1世の三女で、モデナ公フランチェスコ5世の妃となった。イタリア語名はアデルゴンダ・ディ・バヴィエーラ(Adelgonda di Baviera)。
アデルゴンダ・ディ・バヴィエーラ Adelgonda di Baviera | |
---|---|
モデナ公妃 | |
| |
在位 | 1846年1月21日 - 1859年6月11日 |
別称号 | バイエルン王女 |
全名 | アーデルグンデ・アウグステ・シャルロッテ・カロリーネ・エリーザベト・アマーリエ・マリー・ゾフィー・ルイーゼ |
出生 |
1823年3月19日 バイエルン王国、ヴュルツブルク |
死去 |
1914年10月28日(91歳没) ドイツ帝国 バイエルン王国、ミュンヘン |
埋葬 | オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
結婚 | 1842年3月30日 ミュンヘン |
配偶者 | モデナ公フランチェスコ5世 |
子女 | アンナ・ベアトリーチェ |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | バイエルン王ルートヴィヒ1世 |
母親 | テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン |
生涯
編集1823年3月19日、ルートヴィヒ1世(当時王太子)とその妃であったザクセン=ヒルトブルクハウゼン公フリードリヒの娘テレーゼの間に第6子としてヴュルツブルクで生まれた。
1842年3月30日にミュンヘンでモデナ公子フランチェスコ(オーストリア=エステ大公フランツ)と結婚し、1846年に夫が即位したことによりモデナ公妃となった。1859年、イタリア統一を目指すサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世によってモデナ公国が併合されるとフランチェスコ5世とともにウィーンへ亡命し、フランチェスコ5世の歿後はミュンヘンに戻った。
1914年10月28日、ミュンヘンで死去した。遺骨はウィーンのカプツィーナー教会にある皇帝納骨所(カイザーグルフト)に収められている。
子女
編集夫であるフランチェスコ5世との間には以下の一女をもうけた。
- アンナ・ベアトリーチェ・テレジア・マリア (1848年 - 1849年)