アンヌ・ド・バヴィエール
アンヌ・アンリエット・ジュリー・ド・バヴィエール(Anne Henriette Julie de Bavière, 1648年3月13日 - 1723年2月23日)は、フランスの貴族コンデ公アンリ3世の妻である。
アンヌ・ド・バヴィエール Anne de Bavière | |
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称号 | コンデ公妃 |
出生 |
1648年3月13日 フランス王国、パリ |
死去 |
1723年2月23日(74歳没) フランス王国、パリ、小リュクサンブール宮殿 |
埋葬 | フランス王国、パリ、フォーブール・サン=ジャック、カルメル会修道院 |
配偶者 | コンデ公アンリ3世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | プファルツ=ジンメルン家 |
父親 | プファルツ=ジンメルン伯エドゥアルト |
母親 | アンヌ・ド・ゴンザーグ・ド・クレーヴ |
生涯
編集プファルツ=ジンメルン伯エドゥアルト(プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の息子、カール1世ルートヴィヒの弟)と妃アンヌ・ド・ゴンザーグ・ド・クレーヴの末娘として、パリで生まれた。
オルレアン公フィリップ1世妃エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエールは父方の従妹にあたる。
1663年12月11日、当時アンギャン公だったアンリと結婚、10子を生んだ。
- マリー=テレーズ(1666年 - 1732年) - コンティ公フランソワ・ルイ妃
- アンリ(1667年 - 1670年)
- ルイ3世(1668年 - 1710年) - コンデ公
- アンヌ(1670年 - 1675年)
- アンリ(1672年 - 1675年)
- ルイ・アンリ(1673年 - 1675年)
- アンヌ・マリー・ヴィクトワール(1675年 - 1700年)
- アンヌ・ルイーズ・ベネディクト(1676年 - 1753年) - メーヌ公ルイ・オーギュスト(ルイ14世の庶子の1人)妃
- マリー・アンヌ(1678年 - 1718年) - ヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ妃
- 女児(1679年 - 1680年)
アンヌは善良で思いやりがあり、信仰篤く控えめな人物だった。彼女は精神錯乱状態の乱暴で残酷な夫を支えた。親族であるマントヴァ公フェルディナンド・カルロの死により、アンヌは1708年にアルシュ=シャルルヴィル公領(現在のベルギー・アルデンヌ県)を相続した。