アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ
アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ(Anna Caterina Gonzaga, 1566年1月17/27日 - 1621年8月3日)は、イタリア・マントヴァ公国の支配者ゴンザーガ家の公女で、オーストリア=チロル大公フェルディナント2世の2番目の妻。
アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ Anna Caterina Gonzaga | |
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オーストリア=チロル大公妃 | |
出生 |
1566年1月17/27日 マントヴァ公国、マントヴァ |
死去 |
1621年8月3日(55歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、インスブルック |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、インスブルック、セルヴィテ教会 |
配偶者 | フェルディナント2世 |
子女 |
マルタ アンナ マリア アンナ |
家名 | ゴンザーガ家 |
父親 | グリエルモ・ゴンザーガ |
母親 | エレオノーレ・フォン・エスターライヒ |
生涯
編集マントヴァ公グリエルモとその妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の娘であるエレオノーレの間の第3子、次女として生まれた[1]。1582年5月14日にインスブルックにおいて、チロル州侯を務めるフェルディナント大公と結婚した。夫妻は実の伯父と姪の間柄だった。夫妻の間には4人の娘が生まれた。
1621年にインスブルックで死去した。翌1622年に、フェルディナント2世大公の甥にあたる神聖ローマ皇帝フェルディナント2世が2度目の皇后としたエレオノーラ・ゴンザーガは、アンナ・カテリーナの兄マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世の娘である。
脚注
編集- ^ Miroslav Marek (15 October 2003). “Anna Caterina Gonzaga(Gonzaga3:C3)”. genealogy.euweb.. 2012年10月13日閲覧。
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、Anna Caterina Gonzagaに関するメディアがあります。