アンドレーアス・イサクソン
アンドレーアス・イサクソン(Andreas Isaksson, 1981年10月3日 - )は、スウェーデン・スコーネ県トレッレボリ市Smygehamn出身のサッカー選手。元サッカースウェーデン代表。ポジションはゴールキーパー。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Andreas Isaksson | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スウェーデン | |||||
生年月日 | 1981年10月3日(43歳) | |||||
出身地 | トレッレボリ | |||||
身長 | 198cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1999 | オストラ・トルプGIF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999 | トレッレボリFF | 11 | (0) | |||
1999-2001 | ユヴェントス | 0 | (0) | |||
2001-2004 | ユールゴーデンIF | 75 | (0) | |||
2004-2006 | スタッド・レンヌ | 62 | (0) | |||
2006-2008 | マンチェスター・シティ | 19 | (0) | |||
2008-2012 | PSV | 124 | (0) | |||
2012-2016 | カスムパシャAS | 104 | (0) | |||
2016-2018 | ユールゴーデンIF | 60 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1996-1997 | スウェーデン U-16 | 19 | (0) | |||
1998 | スウェーデン U-18 | 1 | (0) | |||
1999-2003 | スウェーデン U-21 | 23 | (0) | |||
2002-2016 | スウェーデン | 133 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集クラブ
編集スウェーデンとイタリア
編集トレッレボリ市Smygehamnに生まれたイサクソンは、ユース時代を地元のオストラ・トルプGIF(Östra Torp GIF)で過ごし、1999年にトレッレボリFFへ移籍すると、2人のGKが怪我したことで出番が訪れ17歳の時にトップリーグデビューを果たした。その才能が注目を集め、1999年6月にイタリア1部の名門ユヴェントスFCに引き抜かれた。しかし、同時期にオランダ代表のエトヴィン・ファン・デル・サールが加入したことで出番は訪れず、2001年1月16日に母国のユールゴーデンIFと契約を締結した[1]。
ユールゴーデンではラミ・シャーバンを控えに追いやり正GKの座を掴み、ステファン・バルリン, ニクラス・ラスク, アブガル・バルサム, ステファン・レーンらと共に中心選手として2002年シーズンのリーグ優勝に貢献。また、カップ戦決勝でライバルのAIKソルナを1-0で破り、ルアイ・チャンコ, バビス・ステファニディス, キム・シェルストレームらと優勝カップを掲げ、2冠を達成。その結果から年間最優秀GK賞を受賞した[2]。また、翌2003シーズンもリーグを制し2連覇を達成、再び年間最優秀GK賞に選出されている[2]。
レンヌ
編集2004年7月、イングランド1部のチェルシーFCへ移籍したペトル・チェフの後釜としてフランス1部のスタッド・レンヌと契約。1シーズン目は全38試合に出場し、得点王に輝くアレクサンダー・フライと共に4位躍進の原動力として活躍、UEFAカップ2005-06出場権を得た。2シーズン目は7位に終わったものの、前年に引き続き、そして4年連続となるスウェーデン年間最優秀GK賞を受賞した[2]。
マンチェスター・シティ
編集2006年8月15日にイングランド1部のマンチェスター・シティFCへ移籍金200万ポンドで加入[3]。ポーツマスFCへ移籍したデイヴィッド・ジェームスの後釜そして正GKとして期待された[3] が、代表戦での足の怪我、さらにクラブの練習中にベルナルド・コッラーディと衝突したことによる膝の怪我からなかなか出番が訪れず[4]、12月9日のマンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービー(1-3敗北)中に怪我をしたニッキー・ウィーバーと交代する形でようやく移籍後初出場を果たした[5]。その後もウィーバーにポジションを明け渡していた[6] ものの、2007年3月14日のチェルシーFC戦(0-1敗北)で移籍後2度目となる先発出場を果たすと、同試合から最終節までの残り10試合全てに出場、そのうち4試合を無失点に抑え、最終節のトッテナム・ホットスパー戦(1-2敗北)でジャーメイン・デフォーのPKを防ぐ[7] など活躍した。
2007-08シーズン前にスウェーデンとベルギーで行った試合のほとんどに出場していたが、練習で親指を骨折、その後に右膝を怪我した[8] ことで同シーズン最初の2か月を欠場を余儀なくされた。2007年10月31日のフットボールリーグカップボルトン・ワンダラーズFC戦で2007-08シーズン初出場を果たし無失点に抑える[9] も、若手のジョー・ハートと世界的GKピーター・シュマイケルの息子カスパー・シュマイケルの存在からなかなか出番が訪れずにいた[10]。その後、11月末から12月の5試合にローテーションの一環として起用されたものの、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が近い将来の正GKをハートに見据えた[11] こともあり、出場機会を求めて2008年1月に別のクラブを模索し、これに呼応するようにトルコ1部の強豪ガラタサライSKからローンでの移籍話が舞い込んだが、完全移籍のみを望んだため拒否し、残留が決定した[12]。しかし、シュマイケルが2部のカーディフ・シティに貸し出され第2GKの地位に就くもベンチを温める日々が続いた。5月11日の最終節ミドルスブラFC戦(1-8敗北)で久しぶりに出場したが大量失点を被り[13]、この試合がマンチェスター・シティでの最後の試合となった。
PSV
編集2008年7月2日、トッテナム・ホットスパーFCへ移籍したエウレリョ・ゴメスの後釜としてオランダ1部の強豪PSVアイントホーフェンと4年契約を締結[14]。移籍してすぐさまディルク・マルセリス, イブラヒム・アフェレイ, ジェイソン・クリナ, ティミー・シモンスらと共に中心選手としてプレーすることに成功するも、前シーズン王者として臨んだこの2008-09シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09で勝利したのは10月23日のオリンピック・マルセイユ戦(2-0)[15] のみとグループリーグを最下位で敗退し、さらにリーグ戦では4位に終わったことでUEFAチャンピオンズリーグ 2009-10出場権獲得には至らず、チームとしては失敗に終わった。
2009年夏にフレット・ルッテン監督が就任以降も正GKとして起用され、2009-10シーズンのクラブは第25節まで無敗で首位の座に着いていたが、残り9試合で勝ち点僅か13しか獲得出来ず、最終的に王者FCトゥウェンテ, 2位のアヤックス・アムステルダムに次ぐ3位に終わった。翌2010-11シーズンもこの3クラブ間での争いになったが再び3位に終わり、またしてもUEFAチャンピオンズリーグ出場を逃した。
PSVでは、マンチェスター・シティ時代とは打って変わり背番号1を付けて正GKを務めていたが、2011-12シーズンの3月上旬に行われたトゥウェンテ戦(ホーム2-6敗北)UEFAヨーロッパリーグ 2011-12のスペイン1部バレンシアCF戦(2-4敗北)と2試合合計10失点と大量失点を被ったことでポーランド代表プシェミスワフ・ティトンの起用を考慮され[16]、そのまま同選手にポジションを奪われた。以降、出番が訪れることはなく同シーズン終了に伴い契約満了したため退団が決定。PSVではリーグ戦出場124試合を記録した。
トルコ
編集2012年7月9日に4シーズンぶりに昇格を果たしたトルコ1部のカスムパシャASへ2015年までの3年契約で移籍した[17]。
ユールゴーデンIF
編集代表
編集2002年3月のスイス戦でラーシュ・ラーゲルベック監督とトミー・セデベリ監督率いるスウェーデン代表デビュー[18] をし、同年に2002 FIFAワールドカップのメンバーに選出されるも、マグヌス・ヘドマンとマグヌス・シールステットに次ぐ第3GKとしての役割から出場はなかった。以降は、ヘドマンの控えとしての日々が続いていた[18] が、その後、怪我をした同選手にとって代わりUEFA EURO 2004予選終盤から正GKの座を掴むと本大会でも引き続き正GKとして出場し、オロフ・メルベリ, クリスティアン・ヴィルヘルムソン, ズラタン・イブラヒモヴィッチ, エリック・エドマンらと共にグループリーグ首位突破に貢献した。しかし、続くオランダ戦(0-0)ではPK戦(4-5)の末に敗退した[19]。
続く2006 FIFAワールドカップでも正GKを務め、フレドリック・ユングベリ, マルクス・アルベック, テディ・ルチッチ, ニクラス・アレクサンデションらと共に2位でグループリーグを突破するも、ドイツとのベスト16でヘンリク・ラーションのPK失敗、そしてルーカス・ポドルスキの2得点に沈んだ[20]。
UEFA EURO 2008では、初戦のギリシャ戦(2-0勝利)で前回王者相手に無失点に抑える[21] 活躍を見せ、メルベリ, イブラヒモヴィッチ, フレドリック・ストール, ダニエル・アンデションらが尽力するも3位でグループリーグ敗退に終わった。また、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でも引き続き正GKを務めたが、デンマーク, ポルトガルに次ぐ3位に終わったため、本大会出場権を逃している。
UEFA EURO 2012予選では10試合中9試合に出場。チームは、予選最終節で首位オランダに勝利したことで全予選グループで最も成績が良い2位チームとなったことで、プレーオフを経ず本大会進出が決定[22]。2012年5月29日にエリック・ハムレーン監督の下で本大会23人のメンバーに選出される[23] と、グループリーグ最終節のフランス戦(2-0勝利)で無失点に抑えた[24] ものの、前回大会に続き、グループリーグ敗退に終わった。
タイトル
編集- クラブ
- ユールゴーデンIF
- アルスヴェンスカン : 2002, 2003
- スウェーデン・カップ : 2002
- PSVアイントホーフェン
- ヨハン・クライフ・シャール : 2008
- 個人
- スウェーデン年間最優秀GK賞 : 2002, 2003, 2004, 2005, 2009, 2011, 2012[2]
脚注
編集- ^ "Isaksson till Djurgården"
- ^ a b c d "Övriga utmärkelser"
- ^ a b "Isaksson completes Man City move"
- ^ "Isaksson bemoans injuries"
- ^ "Isaksson claims career best"
- ^ "Isaksson and Weaver battle for No 1 spot"
- ^ "Tottenham 2-1 Man City"
- ^ "Reserve outing for Isaksson"
- ^ "Isaksson happy to play"
- ^ "Isaksson - Sven promised"
- ^ "Hart to be City's No.1"
- ^ "Isaksson - I made right choice"
- ^ "Middlesbrough 8-1 Man City"
- ^ "PSV tie up Isaksson swoop"
- ^ "PSV、終盤の2点でマルセイユを下す"
- ^ "Isaksson dreigt plaats te verliezen aan Tyton"
- ^ "イサクソン、PSVからカスムパシャへ" UEFA.com 2012年7月9日(8月19日閲覧)
- ^ a b "Andreas Isaksson - skysports"
- ^ "Dutch delight in quarter-final shoot-out"
- ^ "Germany 2-0 Sweden"
- ^ "スウェーデンが王者ギリシャに完勝"
- ^ "スウェーデン、最高成績の2位チームに"
- ^ "Sweden include Mikael Lustig in 23-man squad for Euro 2012"
- ^ "フランス、敗北も2位で準々決勝へ"
- ^ "Isaksson snart med i hundraklubben"
外部リンク
編集- アンドレーアス・イサクソン - National-Football-Teams.com
- アンドレーアス・イサクソン - Soccerway.com
- アンドレーアス・イサクソン - Soccerbase.comによる選手データ
- アンドレーアス・イサクソン - FootballDatabase.eu
- アンドレーアス・イサクソン - WorldFootball.net
- アンドレーアス・イサクソン - Transfermarkt.comによる選手データ
- アンドレーアス・イサクソン - FIFA主催大会成績
- アンドレーアス・イサクソン - UEFA
- アンドレーアス・イサクソン - スウェーデンサッカー協会
- アンドレーアス・イサクソン - トルコサッカー連盟 (player)