アンドレ・ダリガード
フランスの自転車競技選手 (1929-)
アンドレ・ダリガード(André Darrigade、1929年4月24日- )は、フランス・ランド県ナロス出身の元自転車競技選手。
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基本情報 | ||||||||||||||||||
本名 |
アンドレ・ダリガード André Darrigade | |||||||||||||||||
生年月日 | 1929年4月24日(95歳) | |||||||||||||||||
国籍 | フランス | |||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||
所属 | 引退 | |||||||||||||||||
分野 | ロードレース | |||||||||||||||||
役割 | 選手 | |||||||||||||||||
特徴 | スプリンター | |||||||||||||||||
プロ経歴 | ||||||||||||||||||
1952-1955 1956-1960 1961 1962 1963-1965 1966 |
ラ・ペルル アリエット アルシオン ルルー=ジタン マルニェナ カモム | |||||||||||||||||
主要レース勝利 | ||||||||||||||||||
世界選手権・プロロード 1959 ツール・ド・フランス ポイント賞 1959、1961 フランス国内選手権 1955 ジロ・ディ・ロンバルディア 1956 | ||||||||||||||||||
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最終更新日 2008年2月15日 |
経歴
編集1951年から1966年までプロ生活を送り、ツール・ド・フランスでは毎回のように最初のステージでマイヨ・ジョーヌを獲得した他、1959年、1961年にはポイント賞も獲得。また、1959年には世界自転車選手権・プロ個人ロードを制覇した。世界選手権ではこの他、1960年は2位、1957年、1958年は3位に入っている。
この他、ツールでは通算17回の区間優勝、18回のマイヨ・ジョーヌ獲得を果たした他、ジロ・デ・イタリアでも区間1勝を挙げているが、総合順位という観点に立つと、山岳コースにおいて決まって大きく遅れを取っていたことから、ツールにおいては、1956年、1959年の16位が最高順位だった。
この他の実績として、1955年にフランス国内選手権、1956年にジロ・ディ・ロンバルディアを制している。
主な実績
編集- 1953年
- ツール・ド・フランス 総合37位(第12ST優勝)
- 1954年
- ツール・ド・ピカルディ 総合優勝
- 1955年
- フランス 国内選手権 優勝
- 1956年
- ジロ・ディ・ロンバルディア 優勝
- ツール・ド・フランス 総合16位(第1ST優勝)
- マイヨ・ジョーヌ6日間保持 (第1-第2、第4(b)-第6、第11)
- 1958年
- ツール・ド・フランス 総合21位(第1、9、15、17、22ST優勝)
- マイヨ・ジョーヌ5日間保持(第1、第9-第12)
- ポイント賞 3位
- 1959年
- 世界自転車選手権 プロ・個人ロードレース 優勝
- クリテリウム・アンテルナシオナル 総合優勝
- ツール・ド・フランス 総合16位(第1、第11ST優勝)
- 1960年
- ジロ・デ・イタリア 総合64位(第15ST優勝)
- パリ~ニース 区間1勝
- ツール・ド・ロマンディ 総合10位(区間2勝)
- 1961年
- ツール・ド・フランス 総合32位(第1(a)、2、13,19ST優勝)
- ドーフィネ・リベレ 総合40位(区間1勝)
- 1962年
- ツール・ド・フランス 総合21位(第2ST優勝)
- マイヨ・ジョーヌ4日間保持
- 1963年
- ツール・ド・フランス 第16ステージ途中棄権(第12ST優勝)
- 1964年
- ツール・ド・フランス 総合67位(第2、18ST優勝)
- ドーフィネ・リベレ 総合45位(区間2勝)
外部リンク
編集- アンドレ・ダリガード - サイクリングアーカイヴス