アンドレイ・ハラモフ
アンドレイ・ハラモフ(Andrey Khramov、Андрей Михайлович Храмов、1981年1月17日 - )は、バシキール自治ソビエト社会主義共和国で生まれたロシアのオリエンテーリング選手。2005年、愛知で開かれた世界選手権(WOC)のロング種目で優勝してから2010年までに6回ほど世界選手権で勝利を収めている。
獲得メダル | ||
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WOC2007にて | ||
ロシア | ||
オリエンテーリング男子 | ||
世界選手権 | ||
金 | 2005 愛知 | ロング |
金 | 2006 オーフス | リレー |
金 | 2007 キエフ | リレー |
金 | 2008 オロモウツ | スプリント |
金 | 2009 ミシュコルツ | スプリント |
金 | 2010 トロンハイム | リレー |
銀 | 2004 ヴェステロース | リレー |
銀 | 2007 キエフ | ロング |
銀 | 2008 オロモウツ | リレー |
銅 | 2006 オーフス | ロング |
ワールドゲームズ | ||
金 | 2009 高雄 | スプリント |
金 | 2009 高雄 | リレー |
銅 | 2009 高雄 | ミドル |
ワールドカップ | ||
金 | 2005 | 総合 |
銀 | 2004 | 総合 |
ヨーロッパ選手権 | ||
金 | 2008 ヴェンツピルス | リレー |
銀 | 2004 ロスキレ | スプリント |
銅 | 2006 ヴァルガ | スプリント |
銅 | 2008 ヴェンツピルス | スプリント |
ジュニア世界選手権 | ||
金 | 1999 ヴァルナ | ロング |
金 | 2001 ミシュコルツ | ロング |
ジュニア時代
編集アンドレイ・ハラモフは1981年バシキールにて父Michaelと母Raisaの間に生まれた。父Michaelは学校の校長をしており、代数学と幾何学を教えていた。ハラモフが世界に名を轟かせたのは1999年ブルガリアのヴァルナで開かれたジュニア世界選手権(JWOC)である。ハラモフはロング種目で優勝すると、2001年ハンガリー、ミシュコルツで開かれたJWOCでもやはりロング種目で連覇を達成した。
業績
編集ハラモフがシニア選手として初めて世界の舞台に登場したのは2003年のWOC(於スイスラッパースヴィル・ヨナ)であり、スプリント種目に出場して16位という成績を収めた。その1年後、2004年にはデンマークのロスキレで開かれたヨーロッパ選手権(EOC)においてスプリント種目で準優勝という好成績を残し、また同年のワールドカップ(WC)でも総合2位、WOCのリレー種目でもロシアを準優勝へと導いた。2005年には前述のとおりついにWOCのロング種目で優勝、初の世界タイトルを獲得し、WCでも総合優勝を収めた。以降WOCでは2006,2007,2010年にチームメイトのバレンティン・ノビコフらとともにリレー種目で、2008,2009年にスプリント種目で優勝している。つまり2005年以降毎年WOCで金メダルを獲得していたことになるが、その記録は2011年フランスサヴォワのテクニカルな地形の前で途絶えた。ワールドゲームズ(WG)には2009年(台湾高雄)に出場。ミドルではダニエル・フブマンに敗れ3位、スプリントでは逆にフブマンを破り優勝している。また混成リレーでも同じくロシアのドミトリー・ツヴェトコフらとともにフィンランドやノルウェーを抑えて優勝を果たした。
人物
編集現在はクラスノダールに居住している。既婚者であり、子供が1人いる。学問は交通科学を修めている。ロシア国内ではロストフ・ナ・ドヌのクラブに所属し、またフィンランドのクラブHiisirastiにも所属。陸上競技者としての顔も有し、5000mのベストタイムは14分5秒。
参考文献
編集外部リンク
編集- アンドレイ・ハラモフ公式ホームページ(露語)
- アンドレイ・ハラモフ世界ランキング(IOFのホームページより)