アンドレイ・アレクサンドロヴィチ (ウラジーミル大公)
アンドレイ・アレクサンドロヴィチ(Андрей Александрович、1255年頃 - 1304年)は、アレクサンドル・ネフスキーの三男。母はポロツク公女アレクサンドラ(ブリャチスラフ・ヴァシリコヴィチの娘)。 ゴロジェッツおよびコストロマ公。1294年以降ウラジーミル大公。
アンドレイ・アレクサンドロヴィチ Андрей Александрович | |
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ウラジーミル大公 | |
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在位 | 1294年 - 1304年 |
出生 |
1255年頃 |
死去 |
1304年 |
配偶者 | ヴァシリサ・ドミトリエヴナ |
家名 | リューリク家 |
王朝 | リューリク朝 |
父親 | アレクサンドル・ネフスキー |
母親 | アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ |
事跡
編集1281年以降、ウラジーミル大公位をめぐり、兄ドミトリー・アレクサンドロヴィチと争う。その際、タタールを唆してこれを味方に付けてドミトリーと戦う場合が多かった(1281年、1285年、1293年デュデンの侵寇)。
1294年にロストフ公ドミトリー・ボリソヴィチの娘ヴァシリサと結婚。この年に兄が死去し、ウラジーミル大公を確保した。
1304年に死去。彼の三人の息子は父親より早くに亡くなっており、ウラジーミル大公位は従兄弟のトヴェリ公ミハイル・ヤロスラヴィチに移る。
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