アントン (スーパーコンピュータ)
アントン(英: Anton)は、D. E. Shaw Researchによって開発された超並列スーパーコンピュータである。タンパク質など生体高分子の分子動力学シミュレーションに特化したシステムであり、多数の専用集積回路(ASIC)が、特殊な三次元トーラス状の高速通信ネットワークにより接続されている[1]。
理研で開発されたMDGRAPE-3など、以前の分子動力学シミュレーション専用機ではASICと汎用プロセッサとを併用していたのに対し、アントンは計算のすべてをASICにより行う。
アントンのASICは、2つのサブシステムから構成されている。第一のサブシステム、high-throughput interaction subsystem (HTIS)で、静電相互作用とファンデルワールス力の計算の大部分が実行される[2]。このサブシステムは、800 MHzで動作する32のモジュールにより構成されており、Systolic arrayに類する方式で完全にパイプライン化されている。第二のサブシステム、flexible subsystemにより、結合長などの局所的相互作用の計算や、長距離静電相互作用の算出に必要な高速フーリエ変換が実行される。このサブシステムには、Tensilica社製の4個の汎用コアと、ジオメトリーコアと呼ばれる8個のSIMDコアが含まれており、動作クロックは400 MHzである[3]。
通信ネットワークは三次元トーラス状になっており、各々のチップが6つのノード間接続により、入出力バンド幅607.2ギガビット毎秒で結ばれている。各ノード間接続は、等価な2個の一方向リンクであり、それぞれのリンクが50.6ギガビット毎秒のバンド幅である。さらに、各一方向リンクは11のレーンから構成されており、各レーンは4.6ギガビット毎秒の差動ペアである。アントンにおけるネットワークのホップ単位レイテンシは50ナノ秒である。それぞれのASICにDRAMが接続されていることで、大規模なシミュレーションが可能となっている[4]。
アントン1台(512ノード)の計算性能は、23,558原子からなるタンパク質と水の混合系に対して、1日あたり17マイクロ秒(=17,000ナノ秒)のシミュレーションが実行可能である[5]。比較として同様のシミュレーションを、数百から数千コアの一般的な並列コンピュータで行った場合、1日あたり数百ナノ秒程度となる。512ノードの初代アントンは2008年10月に稼働開始した[6]。複数のPeta FLOPS級の分散コンピューティングプロジェクトであるFolding@homeは[7]、アントン上での単一の連続シミュレーションの合計時間に匹敵する、同様の集合アンサンブルシミュレーションのタイムスケールを達成した。具体的には、2010年1月に1.5ミリ秒の長さを達成した[8]。
アントンという名称は、アントニ・ファン・レーウェンフックに由来する[9]。レーウェンフックは、当時としては高性能な顕微鏡を自作し、はじめて種々の微生物や細胞の観察を行った人物であり、しばしば「顕微鏡の父」と称される。
第2世代のアントン2では、4つの512ノードが搭載され、大幅な高速化と問題サイズの拡大が報告された[10]。
アメリカ国立衛生研究所は、カーネギーメロン大学のピッツバーグスーパーコンピューティングセンターで、生物医学研究コミュニティのためのアントンをサポートしており、現在では (2020/8) アントン2システムで継続されている。
参考文献
編集- ^ David E. Shaw; Martin M. Deneroff; Ron O. Dror; Jeffrey S. Kuskin; Richard H. Larson; John K. Salmon; Cliff Young; Brannon Batson et al. (July 2008). Anton, A Special-Purpose Machine for Molecular Dynamics Simulation. 51. ACM. 91–97. doi:10.1145/1364782.1364802. ISBN 978-1-59593-706-3 (Related paper published in Proceedings of the 34th Annual International Symposium on Computer Architecture (ISCA '07), San Diego, California, June 9–13, 2007).
- ^ Richard H. Larson; John K. Salmon; Ron O. Dror; Martin M. Deneroff; Cliff Young; J.P. Grossman; Yibing Shan; John L. Klepeis et al. (2009). High-Throughput Pairwise Point Interactions in Anton, a Specialized Machine for Molecular Dynamics Simulation. IEEE. ISBN 978-1-4244-2070-4. オリジナルの2011-06-05時点におけるアーカイブ。 2020年10月18日閲覧。
- ^ Jeffrey S. Kuskin; Cliff Young; J.P. Grossman; Brannon Batson; Martin M. Deneroff; Ron O. Dror; David E. Shaw (2009). Incorporating Flexibility in Anton, a Specialized Machine for Molecular Dynamics Simulation. IEEE. ISBN 978-1-4244-2070-4. オリジナルの2008-12-04時点におけるアーカイブ。 2020年10月18日閲覧。
- ^ Cliff Young; Ron O. Dror; J. P. Grossman; John K. Salmon; Shaw, David E.; Joseph A. Bank (2009). A 32x32x32, spatially distributed 3D FFT in four microseconds on Anton. New York, NY: ACM. 1–11. doi:10.1145/1654059.1654083. ISBN 978-1-60558-744-8
- ^ “National Resource for Biomedical Supercomputing”. May 23, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。May 14, 2010閲覧。
- ^ David E. Shaw; Ron O. Dror; John K. Salmon; J.P. Grossman; Kenneth M. Mackenzie; Joseph A. Bank; Cliff Young; Martin M. Deneroff et al. (2009) (Portland, Oregon). Millisecond-Scale Molecular Dynamics Simulations on Anton. New York, NY, USA: ACM. 1–11. doi:10.1145/1654059.1654099. ISBN 978-1-60558-744-8
- ^ Pande Group (Mar 2017). “Client Statistics by OS”. Stanford University. February 3, 2012閲覧。
- ^ Vijay Pande (January 17, 2010). “Folding@home: Paper #72: Major new result for Folding@home: Simulation of the millisecond timescale”. September 22, 2011閲覧。
- ^ John Markoff (July 8, 2008). “Herculean Device for Molecular Mysteries”. The New York Times April 25, 2010閲覧。
- ^ Shaw, David E; Grossman, JP; Bank, Joseph; A Batson, Brannon; Butts, J Adam; Chao, Jack C; Deneroff, Martin M; Dror, Ron O et al. (2014). Anton 2: Raising the Bar for Performance and Programmability in a Special- Purpose Molecular Dynamics Supercomputer. New Orleans, LA: ACM. 41–53. doi:10.1109/SC.2014.9. ISBN 978-1-4799-5499-5