アントス古希: Ἄνθος, Anthos)は、ギリシア神話の人物である。「セキレイ」の意[注釈 1]

ツメナガセキレイ

が知られている。以下に説明する。

アウトノオスの子

編集

このアントスは、メラネウスの子アウトノオスとヒッポダメイアの子で、エローディオス、スコイネウス、アカントス、アカンティスと兄弟[3]

ボイオスの『鳥類の系譜』に基づくアントーニーヌス・リーベラーリスの物語によると、アントスの父アウトノオスは広大な土地の所有者であった。また馬の大群を牧場で飼育しており、妻と子供たちがその世話をしていた。とりわけ長男のエローディオスは馬をこよなく愛し、熱心に馬の世話をした。ところがあるとき、弟のアントスは馬の群れを牧場の外に追い出した。馬たちは草を食べることができず、空腹で怒り狂い、アントスを食い殺した。彼の家族はこの出来事に驚き、アントスの死を深く嘆いたため、ゼウスアポローンは彼らを鳥に変えた。すなわち、アウトノオスをサギに、ヒッポダメイアをカンムリヒバリに、子供たちは生前と同じ名前の鳥に、エローディオス(サギ)、アントス(セキレイ)、スコイネウス(不明)、アカントス(不明)、アカンテュリス(不明)になった[3]

なお、アリストテレースは『動物誌』の中でセキレイが馬と敵対関係にあると述べている。それによると、セキレイが草を食べ、また馬の鳴き声をまねて鳴き、馬の周りを飛んで怖がらせるため、馬はセキレイを牧場から追い出し、捕えると殺すという[4]。アントーニーヌスの物語はこの記述と関係があると見なされている[5][2]

カラウレイア島の王

編集

このアントスは、サロニカ湾の島カラウレイアの王である。ヒュペレーの兄。アリストテレースによると、当時エイレーネーと呼ばれていた島に定住し、島をアンテードニアあるいはヒュペレイアと呼んだ。ムナシゲイトーンによるとアントスは幼い頃に攫われて行方不明になった。妹のヒュペレーは兄を捜し歩いてテッサリアー地方のペライ王アカストスの王宮を訪れ、王に酌をする奴隷となっていたアントスを発見したという[6][7]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 特に黄色のセキレイを指すとされる[1][2]

脚注

編集
  1. ^ 島崎三郎訳注、p.251-252。
  2. ^ a b 安村典子訳注、p.48。
  3. ^ a b アントーニーヌス・リーベラーリス、7話。
  4. ^ アリストテレース『動物誌』9巻1。
  5. ^ 島崎三郎訳注、p.298。
  6. ^ プルタルコス『ギリシアの諸問題』19”. 2022年5月26日閲覧。
  7. ^ Plutarch, Quaestiones Graecae 19”. Perseus Digital Library. 2022年5月26日閲覧。

参考文献

編集