アンソニー・ケネディ
アンソニー・マクリオド・ケネディー (英:Anthony McLeod Kennedy、1936年7月23日 - ) は、アメリカ合衆国の裁判官、アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事を務めた。
アンソニー・ケネディ Anthony McLeod Kennedy | |
---|---|
| |
生年月日 | 1936年7月23日(88歳) |
出生地 | アメリカ合衆国·カリフォルニア州サクラメント市 |
出身校 | スタンフォード大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、ハーバード大学 |
宗教 | カトリック教会 |
任期 | 1988年2月18日 - 2018年7月31日[1] |
任命者 | ロナルド・レーガン |
概略
編集ロナルド・レーガンアメリカ合衆国大統領により1988年、アメリカ合衆国連邦最高裁判所判事に指名された。サンドラ・デイ・オコナー判事の引退以来、保守派の判事とリベラル派の判事が4対4で拮抗する連邦最高裁において、中道のスタンスを取るケネディの判断がキャスティングボートを握る場合が多かった。
経歴
編集ケネディはカリフォルニア州サクラメントにあるアイルランド系のカトリックの家庭に生まれ育った。[2] 彼はカリフォルニア州議会での影響力に定評のあるアンソニー・J・ケネディと、多くの地元市民活動に参加し弁護士であるグラディス(旧姓マクラウド)の息子であった。ケネディは、カリフォルニア州知事、後に米国最高裁判所長官アール・ウォーレンのような著名政治家と接触があった。
ケネディは1954年から1958年の間にスタンフォード大学に在籍・卒業し、政治学の学士号を得た。 後にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学[3] 彼は1961年にハーバード大学のロースクールで法学の学位を得た。
ケネディは1961年から1963年にサンフランシスコで開業していた。1963年に彼の父が死亡し、 彼は1975年まで父親のサクラメントでの営業を引き継いだ。[4] 1965年から1988年に、彼はパシフィック大学で憲法の教授となった[3]。彼は、ヨーロッパでの夏のセッション中にセミナーで法学部の学生を教えるためにオーストリアのザルツブルクに滞在した。
ケネディはカリフォルニア州で法学教授や弁護士などを務めている頃、カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンの州税案の起草を助けた[4]。
ケネディはそのキャリアにおいて、多くの仕事を務めている。1961年にカリフォルニア州陸軍州兵の経験、1987年から1988年に連邦司法センターの委員の経験などがある。彼はまた、アメリカの司法会議の2つの委員会(財務情報開示の諮問委員会と司法活動諮問委員会)の委員を1979年から1987年の間務めた。また太平洋領土に関する委員会の委員を1979年から1990年まで務め、1982年から1990年までの間は委員長であった。
その後、レーガン知事の推薦に応じて1975年3月3日[4]、フォード大統領がチャールズ・マートンメリル判事の辞職により空席になった、連邦第九巡回控訴裁判所の判事にケネディを指名した。 ケネディの判事就任は全会一致で1975年3月20日に連邦上院によって承認され、1975年3月24日に辞令を受け取った。
ケネディはメアリー・デイビスと結婚し、3人の子供がいる[5]。
連邦最高裁判事
編集連邦最高裁判事ルイス・F・パウエルの辞職に伴い、レーガンはまずロバート・ボークを後継に指名したが上院の承認を得られず、替わって1987年11月30日にケネディが指名された。その後、ケネディはかつてないほどの徹底的な身辺調査を受けることとなった。
上院では与野党から幅広い支持を得た。 PBSのモーリーン・ホックは、「保守派とリベラル派の双方から、ケネディは事実確認プロセスを通じて広くバランスのとれた公正さを持つ人物と見做された」と書いている。1988年2月3日、上院は97対0でケネディの連邦最高裁判事への就任を承認[6]。2月11日に連邦最高裁判事に就任した。
2000年代の最高裁判事は、保守派とリベラル派の数が拮抗しており、意見が割れる事案では中間派のケネディの判断が最終決定に直結した。人工妊娠中絶の是非やアファーマティブ・アクションをめぐる判断、LGBTの権利(後述)をめぐる裁判では、リベラル側の判断を支持した[7]。
2018年6月27日、ケネディは同年7月末に最高裁判事を引退することを表明した[8]。
同性婚に関する判決
編集米連邦最高裁判所は2015年6月26日、同性婚を合憲とし、州法で禁じることを違憲とする判決を下した。これにより、州によって判断が分かれていた同性婚が全米で認められることとなった。判事9人のうち5人が同性婚を合憲と判断し、4人の判事は反対した。ケネディは判決文で以下のように述べている。
人と人のさまざまな結びつきの中で、結婚以上に深い結びつきがあろうか。なぜなら結婚とは、愛の、忠誠の、献身の、自分を犠牲にしてでも守りたい気持ちの、最後に目指す極みであり、家族の生まれるところだからだ。婚姻関係を結ぶことで、二人の個人は、いままでの自分をはるかに超えて深みのある人間になる。この民事訴訟の原告のように、結婚は過去の死すら耐えうる愛を意味するのである。今回の同性愛者の男性と女性が、婚姻という考えに敬意を払おうとしていないと誤解されてきた。
訴訟の申立人たちの訴えは、彼らが婚姻に敬意を払い、そしてその敬意が深いものであるからこそ、自分達にも結婚制度が与えられることを願っているゆえにある。彼らの望みは、孤独に生きろと宣告されないことであり、文明におけるもっとも古い制度から排除されないことである。
彼らは法の下での平等がなされることを願っている。 合衆国憲法は、その権利を彼らに与えている。
よって当法廷は、第六巡回区控訴裁判所の判決を破棄する。 以上のとおり命令する。
No union is more profound than marriage, for it embodies the highest ideals of love, fidelity, devotion, sacrifice, and family. In forming a marital union, two people become something greater than once they were. As some of the petitioners in these cases demonstrate, marriage embodies a love that may endure even past death. It would misunderstand these men and women to say they disrespect the idea of marriage. Their plea is that they dorespect it, respect it so deeply that they seek to find itsfulfillment for themselves. Their hope is not to be condemned to live in loneliness, excluded from one of civilization’s oldest institutions. They ask for equal dignity in the eyes of the law. The Constitution grants them that right.The judgment of the Court of Appeals for the Sixth Circuit is reversed.
It is so ordered.[9]
人となり
編集ケネディは、連邦最高裁判事となる前、下級裁判所における反対意見として、子供から母親が麻薬を隠した場所を聞き出すのに賄賂を使うという警察の手法を批判していた。ケネディはそのような家庭を破壊する行為を考慮し、「個人の自由に対する無関心は、やがて個人の自由に対する敵意へとつながる」[10]と書いている。
脚注
編集- ^ “Justice Kennedy, the pivotal swing vote on the Supreme Court, announces his retirement”. Washington Post. 2019年1月19日閲覧。
- ^ William E. Watson and Eugene J. Halus, Jr (2014).
- ^ a b "LII: US Supreme Court: Justice Kennedy".
- ^ a b c Christopher L. Tomlins (2005).
- ^ "Biographies of Current Justices of the Supreme Court".
- ^ Greenhouse, Linda.
- ^ “トランプ米大統領、最高裁判事にカバノー氏指名”. CNN (2018年7月10日). 2018年7月15日閲覧。
- ^ “トランプ氏、米最高裁の構成変える機会 81歳判事引退で”. BBC (2018年6月28日). 2018年7月15日閲覧。
- ^ "14-556 Obergefell v. Hodges (06/26/2015)"
- ^ Greenburg, Jan Crawford.