アンコール・ボレイとプノン・ダ

アンコール・ボレイとプノン・ダは、カンボジア南部にある扶南国の遺跡群。碑文・彫像等が出土しており、建造物が残る。

アンコール・ボレイとプノン・ダ
アスラム・マハー・ルセイ
所在地カンボジアの旗 カンボジア タケオ州
アンコール・ボレイ県英語版
座標北緯10度59分42秒 東経104度58分29秒 / 北緯10.99500度 東経104.97472度 / 10.99500; 104.97472座標: 北緯10度59分42秒 東経104度58分29秒 / 北緯10.99500度 東経104.97472度 / 10.99500; 104.97472
アンコール・ボレイとプノン・ダの位置(カンボジア内)
アンコール・ボレイとプノン・ダ
カンボジアにおけるアンコール・ボレイとプノン・ダの位置

概要

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現在のアンコール・ボレイ中心街(第15運河から)
 
プノン・ダ寺院(山上)
 
アンコール・ボレイとオケオ(Óc Eo)を結んでいた水路

アンコール・ボレイ (クメール語: អង្គរបុរី) と プノン・ダ (クメール語: ភ្នំដា) はタケオ州アンコール・ボレイ県に位置する[1]。これらの遺跡から発掘された最も古い考古学的資料はおおよそ紀元前400年ごろのものであり[2]、これまで知られている最古のクメール文字による碑文のほか、最古の伝統的なクメールの彫刻が含まれている[2]。碑文は611年のもので、サンスクリット語碑文の追補として「奴隷」「栽培所」「稲田」「ヤシ」「ビンロウジュ」などの単語がみられる[3]

アンコール・ボレイ

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アンコール・ボレイは、南北2.2 km、東西1.6 km、内部約300ヘクタールの城壁都市であり、6 - 7世紀に人口のピークに達し、その後も都市として機能し続けた[4]。1930年代から40年代の空中写真を用いた調査で、アンコール・ボレイは南南東に約67 km離れた外港のオケオ(現在のベトナム、アンザン省トアイソン県オケオ市鎮)とほぼ直線の水路でつながっていたことがわかっている[5]

この地は1世紀から6世紀にかけての、インド文化がメコンデルタにもたらされた時代、中国とインドの間の重要な水上交易路の一角をなしていた[6]。またプレ・アンコール期に於ける最も重要な政治的中心地であったことが確実視されており、発掘調査の結果から、扶南の都ヴィヤダプーラ(Vyadhapura, ビャダプラ[7]、ヴィヤーダプラ[3]とも。漢文資料では「特牧城」[4])の最有力候補地とされる[4][8]。ヴィヤダプーラは歴代ここアンコール・ボレイにあったという説と、もともとはプレイベン州のバ・プノムにあったものが真臘の南進に圧迫されここに移動したとの説があり、アメリカの地理学者のポール・ウォースリー(Paul Wheatley)は、バ・プノムをヴィヤダプーラに、アンコール・ボレイをナラヴァラナガラ(Naravaranagara)に比定している[4]。しかし近年では歴代説が有力である[4]

現在、観光客むけには小規模な博物館が開設されている[6]

プノン・ダ

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アンコール・ボレイから南東に約3.5 km離れたプノン・バケン山の山頂にラテライトとレンガで作られたプノン・ダ寺院が存在し、周囲から彫像が多数出土している[9]。祠堂は6世紀のもので、現在は11世紀に再建されたものが残っている[6]。同じエリアの別の丘の上には、修復されたヒンズー教の聖地であるアスラム・マハー・ルセイという建造物(700年ごろ、高さ約8 m)があり[6]、かつて僧院だったと考えられている[9]

位置とアクセス

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アンコール・ボレイは、州都のKrong Doun Kaev(通称名はタケオ)の船着場からボートをチャーターし、1880年代に掘られた「第15運河」を20 kmほど航行して訪問することができる。そこからさらにプノン・ダへもボートで移動可能[6]。ただし乾季は運河の水位が下がり、運行がところどころ困難なこともある。また乾季であればバイクタクシーを雇ってでの訪問も可能[6]だが公共交通機関は存在しない。

世界遺産登録状況

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この遺跡は1992年9月1日にユネスコ世界遺産の文化遺産候補に追加された[1]

出典

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  1. ^ a b UNESCO World Heritage Centre.
  2. ^ a b Peregrine & Ember 2001.
  3. ^ a b 石井 & 桜井 1985, pp. 79–80.
  4. ^ a b c d e 下田 2010, pp. 26–28.
  5. ^ Lévy.
  6. ^ a b c d e f Ray & Bloom 2014, pp. 208–209.
  7. ^ バ・プノム」『世界大百科事典』https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%8E%E3%83%A0コトバンクより2016年7月11日閲覧 
  8. ^ 下田 2010, p. 10.
  9. ^ a b 地球の歩き方編集室 2011, p. 86.

参考文献

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  • Site d'Angkor Borei et Phnom Da - UNESCO World Heritage Centre 2009-03-27閲覧。
  • Peregrine, Peter Neal; Ember, Melvin, eds. (2001). "Angkor Borei". Encyclopedia of Prehistory. Vol. 3 East Asia and Oceania (2 ed.). Springer Publishing. ISBN 978-0-306-46257-3
  • Paul Lévy, "Recent Archaeological Researches by the École Français d’Extrême Orient, French Indo-China, 1940–1945", in Kalidas Nag (ed.)
  • Ray, Nick; Bloom, Greg (2014 Sep 1) (PDF). Lonely planet Cambodia (9th ed.). Lonely planet publications. pp. 208-209. ISBN 978-1742205571 
  • 石井米雄、桜井由躬雄『<ビジュアル版>世界の歴史』 12(東南アジア世界の形成)、講談社、1985年9月。ISBN 4-06-188512-X 
  • 下田一太『クメール古代都市イーシャナプラの研究』(博士 (建築学)論文・理工学術院専攻)早稲田大学、2010年。hdl:2065/34854NAID 500000513499。乙第2254号。 
  • 地球の歩き方編集室 編著『地球の歩き方』 D22 アンコール・ワットとカンボジア '12-'13、ダイアモンド・ビッグ社、2011年12月。ISBN 978-4-478-04214-4 

関連項目

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