アレッサンドロ・ベットーニ・カッツァーゴ
アレッサンドロ・ベットーニ・カッツァーゴ(イタリア語: Alessandro Bettoni Cazzago、1892年11月7日 - 1951年4月28日)は、イタリアの軍人、馬術選手。最終階級は陸軍大佐。
アレッサンドロ・ベットーニ・カッツァーゴ Alessandro Bettoni Cazzago | |
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生誕 |
1892年11月7日![]() ブレシア |
死没 |
1951年4月28日![]() ローマ |
所属組織 |
![]() |
最終階級 | 大佐 |
除隊後 | 馬術選手 |
経歴
編集軍人として
編集1892年11月7日、上院議員フェデリコ・ベットーニの息子として貴族の家柄に生まれた。イタリア陸軍騎兵科に志願したカッツァーゴはクラス地方の部隊に配属され、第一次世界大戦に従軍した。彼は大戦中の功績によりサヴォイア軍事勲章、武功勲章をそれぞれ銀章一個、銅章二個受章している。
1920年、第3竜騎兵連隊「サヴォイア」に入隊。第二次世界大戦が勃発するとカッツァーゴも従軍し、1942年には大佐へ昇進、第3竜騎兵連隊の指揮官となった。イタリア・ロシア派遣軍に組み込まれた第3竜騎兵連隊は彼の指揮の下1942年8月24日にソヴィエト軍に対し騎兵突撃を敢行、これを成功に収めたが、この突撃が欧州における最後の騎兵突撃となった(なお、戦史上最後の騎兵突撃は、1945年に大日本帝国陸軍第4騎兵師団が中国戦線で行った老河口作戦である)。このときの功績により武功勲章銀章を受けた[1][2]。
馬術選手として
編集カッツァーゴは騎兵科に属していたこともあり、馬術に長けていた。シエーナで行われた馬術の国際大会では1929年と1940年に優勝を果たしており、1948年のロンドンオリンピックにも出場している。彼はイタリア国内で最も多くの馬術大会に出場した人物であり、1929年から1939年の間、実に384回の賞、253個のカップと62個のトロフィーを獲得している[1]。
叙勲
編集脚注
編集参考文献
編集- Luciano Mela, Pietro Crespi e Anna Lisa Carlotti, Dosvidania: Savoia Cavalleria dal fronte russo alla Resistenza, 1995.
- Giorgio Vitali, Trotto, galoppo caricat!: storia del Raggruppamento truppe a cavallo: Russia 1942-1943, Mursia, 1985.
- Lucio Lami, Isbuscenskij. L'ultima carica. Il Savoia Cavalleria nella campagna di Russia, 2011.
- Rolando Anni, Un ponte fra dittatura e democrazia, 2009.