アレックス・パターソン
アレックス・パターソン(Alex Paterson、別名ドクター・アレックス・パターソン、1959年10月15日 - 、ロンドン・バタシー生まれ)は、イングランドのミュージシャンであり、アンビエント・ハウス・グループであるジ・オーブの共同創設者であり、それ以来のメイン・メンバーとして活動している[1]。
アレックス・パターソン Alex Paterson | |
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アレックス・パターソン(左・2005年) | |
基本情報 | |
出生名 | Duncan Alexander Robert Paterson |
別名 | Dr Alex Paterson |
生誕 | 1959年10月15日(65歳) |
出身地 | イングランド ロンドン・バタシー |
ジャンル | エレクトロニカ、トリップ・ホップ、ダブ、IDM |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | キーボード、ターンテーブル、サンプラー、プログラミング |
共同作業者 | ジ・オーブ、トランジット・キングス、FFWD |
公式サイト |
www |
略歴
編集パターソンは、1970年から1979年の間に、キリング・ジョークのベーシストとなるユースことマーティン・グローヴァーと一緒に、オックスフォードシャーにあるキングハム・ヒル・スクールに通っていた[2]。パターソンは1980年代にはキリング・ジョークのローディーとなり、後にバンドが署名したレーベルであるEGレコードのA&Rとして働いた。
ニューヨークのラジオ局、とりわけ98.7 KISS FMの番組『チャック・チルアウト』は、彼の音楽の方向性を推進する力となった。1970年代後半、パターソンはバンド「Bloodsport」のために歌い、キリング・ジョークのライブ公演でもDJとしてプレイを行った。
1989年に、ユースとアレックス・パターソンは「WAU! Mr. Modo」レーベルを開始した[3]。Napthali、Manasseh、Bim Sherman、Jah Warriorなどのアーティストによる一連のインダストリアル・テクノ・ダブとヘヴィ・サウンド・システム・ダブを扱ったレーベル初期リリース作品は、長い間、廃盤となっており、高額で個人販売されている。
1990年に、ジ・オーブがThe KLFのサイド・プロジェクトとして認識されていくというパターソンの懸念から、仲間でジ・オーブの共同創設者であるジミー・コーティとのコラボレーションは終了した。パターソンはジ・オーブの名前を継承した。最近になり、トランジット・キングスとして、コーティとパターソンは再びコラボレーションを行っている。パターソンはまた、クリス・ウェストン、ロバート・フリップ、トーマス・フェルマンとのコラボレーションであるFFWDにも関与した。
パターソンは、30年にわたってベジタリアンである。
出典
編集- Prendergast, Mark (2003). The Ambient Century: From Mahler to Moby-The Evolution of Sound in the Electronic Age. Bloomsbury Publishing PLC. pp. 407–412. ISBN 1-58234-323-3
脚注
編集- ^ Simpson, Dave (19 January 2001). “'If you print that, I'll come looking for you'”. The Guardian (London) 14 February 2017閲覧。
- ^ Baines, Josh (15 July 2016). “Alex Paterson From The Orb Picked His 10 Favorite Punk Records Ever”. Vice. 14 February 2017閲覧。
- ^ “Alex Paterson & Youth discuss "Impossible Oddities" Album OUT NOW”. Year Zero Records (26 November 2010). 5 November 2012閲覧。