アレクサンドリーヤ (ヨット・2代)
「アレクサンドリーヤ」(ロシア語: «Александрі́я» アリクサンドリーヤ)は、ロシア帝国で建造された通報船(посыльное судно)である。主に帝室ヨット(императорская яхта)として用いられた。艦名は、1851年に建造された先代艦から受け継がれた。
「アレクサンドリーヤ」 Александрі́я | ||
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艦歴 | ||
起工 | 1893年8月16日 バルト工場 | |
進水 | 1894年8月29日 | |
竣工 | 1896年 | |
所属 | ロシア帝国海軍バルト艦隊 | |
解体 | 1927年4月24日 | |
除籍 | - | |
要目 | ||
艦種 | 通報船 | |
艦級 | 「アレクサンドリーヤ」級 | |
排水量 | 544 t | |
全長 | 68.8 m | |
全幅 | 14.9 m | |
喫水 | 1.9 m | |
機関 | 3倍膨張水平蒸気機関1 基 4缶1軸推進 |
1075 馬力 |
速力 | 14.5 kn | |
乗員 | 士官 | 8 名 |
水兵 | 100 名 | |
武装 | 63 mm単装砲 | 4 門 |
概要
編集「アレクサンドリーヤ」は、1893年8月16日にサンクトペテルブルクのバルト工場で起工された。1894年8月29日に進水、1896年に竣工した。1904年には、3本マスト・2本煙突の外輪船に改修された。
1903年から1918年の間は近衛隊に属し、ロシア皇帝一家や国家首脳部がペテルブルクとペテルゴーフ間を移動するのに用いられた。また、同時にバルト艦隊の通報艦としての任務も担っていた。
第一次世界大戦にも参加したが、実戦に遭遇することはなかった。1917年に発生したロシア革命後は、ロシア臨時政府や労農赤色海軍によって運用された。1918年5月には、バルト艦隊の機雷分艦隊に転属し予備艦となった。1921年4月からは、ラドガ湖防衛隊長官の管理下に置かれた。その後、バルト海海軍長官の管理下に置かれた。
1922年5月27日には、港へ引き揚げられた。1924年9月23日にクロンシュタットで洪水が発生した際には、軍港の岸壁に打ち付けられ損傷を負った。最終的に艦は解体されることとなり、1927年4月24日には作業が開始され、5月には完了した。
関連項目
編集- 初代帝室ヨット「アレクサンドリーヤ」