アレクサンダー・メルヴィル・ベル
アレクサンダー・メルヴィル・ベル(Alexander Melville Bell、1819年3月1日 - 1905年8月7日)は、スコットランド生まれの演説学者(elocutionist)。視話法の発明で知られる。
電話の発明で知られるアレクサンダー・グラハム・ベルは次男[1]。
生涯
編集アレクサンダー・メルヴィル・ベルは1819年にエジンバラで生まれた。エジンバラ大学を卒業後、同校で約30年間演説学を教えた。1865年の父の没後はロンドン大学に移った。父親のアレクサンダー・ベルも演説学を教えていた[2]。
1844年に聴覚障害を持つイライザ・グレイスと結婚し、3人の息子を儲けたが、3人とも結核にかかり、アレクサンダー・グラハム・ベル以外の2人は結核で死亡した。
視話法に関する主著は1867年に出版された『The Visible Speech』である[3]。視話法は聴覚障害者が話をするのを助けるもので、国際音声記号と同様に単音を表す記号を使うが、国際音声記号と違って各文字はラテン・アルファベットにもとづかず、音を象徴する生理的記号を使用した。後にヘンリー・スウィートは、この記号を改良したものをいくつかの論文で用いた[4]。バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』の第2幕に視話法が登場する(映画『マイ・フェア・レディ』にも出てくる)。また、日本の伊沢修二は1876年のフィラデルフィア万国博覧会で視話法を知り、英語学習や標準語の推進などに使うことを考えた[5]。
1870年8月に一家でカナダに移住し、クイーンズ大学で教えた[6]。
1881年には再び一家でワシントンD.C.に移住した。
脚注
編集- ^ “The Bell Family”. Bell Homestead National Historic Site. 2014年10月22日閲覧。
- ^ Curry (1906) p.32
- ^ The Visible Speech: The Science of Universal Alphabetics. London: Simpkin, Marshall & co. (1867) (archive.org)
- ^ Sweet, Henry (1913). Collected papers of Henry Sweet. Oxford: The Clarendon Press 第5部の諸論文を参照。
- ^ 伊沢修二『視話法』(第二版)大日本図書、1901年、8-12頁 。
- ^ “Bell, Alexander Melville (1819-1905)”. Queen's University. 2014年10月22日閲覧。
- ^ “Bell Homestead National Historic Site”. 2014年10月22日閲覧。
参考文献
編集- Curry, Samuel Silas (1906). Alexander Melville Bell: Some Memories, with Fragments from a Pupil's Note-book. Boston: School of Expression (Google Books)