アルミン・コグラー
アルミン・コグラー(Armin Kogler、1959年9月4日 - )は、1980年代前半に活躍したオーストリア、チロル州シュヴァーツ出身の元スキージャンプ選手。
獲得メダル | ||
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オーストリア | ||
男子 スキージャンプ | ||
ノルディックスキー世界選手権 | ||
金 | 1982 Oslo | 70m級個人 |
銀 | 1982 Oslo | 90m級団体 |
銀 | 1985 Seefeld | 90m級団体 |
1981-1982シーズンから1982-1983シーズンにかけてワールドカップ総合優勝を果たし、1982年の世界選手権で個人金メダルを獲得したトップジャンパーだった。
プロフィール
編集1979年のスキーフライング世界選手権(ユーゴスラビア、プラニツァ)で優勝して頭角を現した。
翌1979-1980シーズンの第一回スキージャンプ・ワールドカップで5勝をあげ、同僚のフーベルト・ノイパーに次ぐ総合2位になった。 レークプラシッドオリンピックでは90m級5位、70m級で12位となった。
1980-1981シーズンはジャンプ週間で自己最高の総合2位、フライング選手権2位、またワールドカップでは3勝、表彰台12回で総合優勝を達成した。 1981-1982シーズンはオスロでの世界選手権で70m級個人金メダル、団体銀メダル、90m級個人で銅メダルを獲得し、ワールドカップでも総合2連覇を果たした。
1984年サラエボオリンピックでは70m級52位、90m級6位。 1985年、地元オーストリアで開催された世界選手権では団体銀メダルを獲得した。同年札幌での90m級で5位になったのがワールドカップでの最後である。 ワールドカップ通算13勝(2位12回3位12回)。
1979年と1981年、1982年の3回オーストリアスポーツマンオブザイヤーを受賞、1984年にはホルメンコーレン・メダルを受賞した。
コグラーは1989年からチロリアン航空のパイロットとして働くとともにオーストリア放送協会(ORF)のスポーツコメンテーターとして活動。2007年2月には精巣腫瘍を患ったが翌シーズンからコメンテーターに復帰した。
マルティン・コッホは甥にあたる。
外部リンク
編集- アルミン・コグラー - 国際スキー連盟のプロフィール
- アルミン・コグラー - Olympedia
- ホルメンコーレンメダル受賞者一覧(PDF)
- ホルメンコーレン大会優勝者一覧(PDF)