アルベルト・レオ・シュラゲーター

アルベルト・レオ・シュラゲーター(Albert Leo Schlageter 1894年8月12日ー1923年5月26日):旧ドイツ帝国陸軍の士官。

第一次世界大戦が勃発後、彼は志願従軍をし、「第二次イーペル会戦」、「ソンムの戦い」及び「ヴェルダンの戦い」などの重要な戦役に参戦した。

戦争後にシュラゲーターはドイツ義勇軍に加入。1920年に「カップ一揆」に参加。同年に「ルール蜂起」が起こった際に、彼はドイツ義勇軍と共にそれを弾圧した[1][2]

1923年にフランス軍がルール占領後、シュラゲーターは民族主義者から組織された武装部隊を率い、フランス占領軍に対抗するため、鉄道破壊を行い、フランス軍の列車を脱線させたり、転覆させたりしたことは何度もあった。その後、シュラゲーターの動向を把握したフランス軍は1923年4月7日に彼を逮捕し、軍事裁判所に引き渡した。5月7日にシュラゲーターは死刑判決を言い渡され、5月26日にデュッセルドルフの近くで処刑された。

ナチス政権が誕生後、シュラゲーターは烈士と見なされ、彼の名前で軍艦と軍団に命名されたり[3][4]、また、記念碑が立てられたりして[5]、ドイツの国家英雄として祭り上げられていた。

第二次世界大戦の1945年5月にドイツが敗戦。その後、非ナチ化の一環として、各地で立てられていたシュラゲーターの記念碑が相次いて撤去されたが、バイエルン州の行政市町であるリングライ英語: Ringelaiで立てられていた記念碑が1977年まで残されていたという[6]

注釈

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