アルベルト・ケルシャー
アルベルト・ケルシャー(ドイツ語: Albert Kerscher、1916年3月29日 - 2011年6月12日)は、ドイツの軍人。最終階級はドイツ国防軍陸軍で曹長、ドイツ連邦軍陸軍で上級准尉。
アルベルト・ケルシャー Albert Kerscher | |
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生誕 |
1916年3月29日 ドイツ帝国 バイエルン王国 |
死没 |
2011年6月12日 ドイツ連邦共和国 バイエルン州インゴルシュタット |
所属組織 |
ドイツ国防軍陸軍 ドイツ連邦軍陸軍 |
軍歴 |
?–1945 1956–69 |
最終階級 |
曹長 (国防軍) 上級准尉 (連邦軍) |
経歴
編集ケルシャーは1916年3月29日にバイエルン王国で生まれた。
第二次世界大戦では主に第502重戦車大隊(1945年1月より第511重戦車大隊へ改称)第2中隊に所属し、中隊長として重戦車ティーガーIを指揮した。1944年のナルヴァの戦いではオットー・カリウスと共同し、ソ連軍に大きな損害を与えている。
1944年7月22日、ケルシャーはカリウスとともにデューナブルク近郊のマリナーファへ偵察に赴いた。マリナーファに到着した直後、2人は援軍を求めて待機しているソ連の戦車部隊を発見した。彼らは背後にニーンスタット少尉を待機させ、2両のティーガーIで奇襲を敢行した。マリナーファにはソ連の重戦車IS-2や中戦車T-34が集結していたが、彼らは僅か20分でIS-2を10両、T-34を7両撃破している。
東プロイセンに移動したケルシャーは、1945年4月13日に第511重戦車大隊の一員として50両から成るソ連の戦車部隊を撃破した。4月21日、彼はティーガーII、四号戦車、軽駆逐戦車ヘッツァーなどとともにピラウへ駆けつけ、民間人の撤退を支援した。23日に彼は負傷し、前線を離脱。終戦時にはイギリス軍の捕虜となっている。
1956年よりドイツ連邦軍に入隊し、1969年に上級准尉の階級で退役した。2011年6月12日にバイエルン州インゴルシュタットで死去。
叙勲
編集- 鉄十字章
- 戦車突撃章
- 戦車突撃章銀章
- 戦車突撃章50回
- 戦車突撃章75回
- 戦車突撃章100回 (1945年2月15日)
- 1941年/1942年東部戦線冬季戦記章
- 騎士鉄十字章
- 騎士鉄十字章 (1944年10月23日)[1]
脚注
編集- ^ Fellgiebel 2000, p. 208.
参考文献
編集- Fellgiebel, Walther-Peer (2000) (German). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939–1945 – Die Inhaber der höchsten Auszeichnung des Zweiten Weltkrieges aller Wehrmachtteile [The Bearers of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939–1945 — The Owners of the Highest Award of the Second World War of all Wehrmacht Branches]. Friedberg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 978-3-7909-0284-6
- Scherzer, Veit (2007) (German). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives [The Knight's Cross Bearers 1939–1945 The Holders of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939 by Army, Air Force, Navy, Waffen-SS, Volkssturm and Allied Forces with Germany According to the Documents of the Federal Archives]. Jena, Germany: Scherzers Miltaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2