アルフォンソ4世・デステ
アルフォンソ4世・デステ (Alfonso IV d'Este, 1634年 - 1662年7月16日)は、モデナ=レッジョ公。
アルフォンソ4世・デステ Alfonso IV d'Este | |
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モデナ=レッジョ公 | |
アルフォンソ4世・デステ、Justus Sustermans画 | |
在位 | 1658年10月14日 – 1662年7月16日 |
出生 |
1634年10月14日 モデナ=レッジョ公国、モデナ |
死去 |
1662年7月16日(27歳没) モデナ=レッジョ公国、モデナ |
配偶者 | ラウラ・マルティノッツィ |
子女 | 本文参照 |
家名 | エステ家 |
父親 | フランチェスコ1世・デステ |
母親 | マリーア・カテリーナ・ファルネーゼ |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
生涯
編集フランチェスコ1世・デステと最初の妃マリーア・カテリーナ・ファルネーゼの長子として生まれた。幼い頃より蒲柳の質で体が弱く、痛風と結核を患っていた。
1655年、マザラン枢機卿の姪ラウラ・マルティノッツィと結婚。3子をもうけた。
- フランチェスコ(1657年 - 1658年)、夭折
- マリーア・ベアトリーチェ(1658年 - 1718年)- 英語名メアリー・オブ・モデナ、イングランド王ジェームズ2世妃
- フランチェスコ2世(1660年 - 1694年)
1658年、公位を継承。翌1659年、フランス・スペイン戦争でフランス側についてコッレッジョを獲得した。
1662年、急死。2歳の息子フランチェスコが、ラウラの摂政のもとで即位した。