アルコ (アイダホ州)
アルコ(英: Arco)は、アメリカ合衆国のアイダホ州にある都市。人口は2000年国勢調査時で1026人。ビュート郡の郡庁所在地である。
アイダホ州アルコ | |
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市 | |
位置図 | |
北緯43度38分5秒 西経113度18分5秒 / 北緯43.63472度 西経113.30139度座標: 北緯43度38分5秒 西経113度18分5秒 / 北緯43.63472度 西経113.30139度 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | アイダホ州 |
郡 | ビュート郡 |
面積 | |
• 合計 | 0.9 mi2 (2.3 km2) |
• 陸地 | 0.9 mi2 (2.3 km2) |
• 水域 | 0.0 mi2 (0.0 km2) |
標高 | 5,325 ft (1,623 m) |
人口 (2000年) | |
• 合計 | 1,026人 |
• 密度 | 1,163.9人/mi2 (449.4人/km2) |
等時帯 | UTC-7 (山岳部標準時) |
• 夏時間 | UTC-6 (山岳部夏時間) |
ZIPコード |
83213 |
市外局番 | 208 |
FIPSコード | 16-03160 |
地名情報システムID | 0396049 |
南西の国道20号線沿線にはクレーターズ・オブ・ザ・ムーン国定公園があり、東にはアイダホ州国立研究所 (INL) が位置する。ビッグ・ロスト川沿いの、ロスト川渓谷の玄関口である。
歴史
編集ルートホッグ (Root Hog) として知られていた1901年、町は駅馬車道の交差点となった。そこで町の有力者らは町の郵便局の名を「ジャンクション」としたが、郵政公社の総裁がありきたりだとして、当時ワシントンD.C.を訪れていたドイツ人のゲオルク・フォン・アルコにちなみ「アルコ」にしたらどうかと提案した。ゲオルク・フォン・アルコは無線通信のパイオニアである発明家で、1903年にテレフンケンが創設されると指導エンジニアに着任した。
原子力発電を世界で初めて導入したコミュニティで、1955年7月17日に近くの国立原子炉試験基地(NRTS、現在のアイダホ州国立研究所)の物理学原子炉が稼動を開始した。しかし、1961年1月3日にはSL-1原子炉がメルトダウンし、3人が亡くなった。これは世界初(そして米国唯一)の原子力死亡事故である。
経済
編集アイダホ州国立研究所による交付金、農業、ロスト川渓谷のレクリエーションが町の経済基盤である。
地理
編集国勢調査局によると総面積は2.3平方キロ(0.9平方マイル)で、全域が陸地である。町で最も特徴的な地形は丘の岩壁のあちこちに数字が描かれた「ナンバー・ヒル」で、1902年から毎年ビュート郡高校の卒業生が数字を描く。
アルコの1971年から2000年にかけての気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °F (°C) | 29.5 (−1.4) |
35.5 (1.9) |
45.7 (7.6) |
58.1 (14.5) |
67.0 (19.4) |
76.6 (24.8) |
84.6 (29.2) |
83.2 (28.4) |
73.6 (23.1) |
61.1 (16.2) |
41.9 (5.5) |
30.4 (−0.9) |
57.27 (14.02) |
日平均気温 °F (°C) | 17.2 (−8.2) |
22.6 (−5.2) |
33.2 (0.7) |
43.5 (6.4) |
51.8 (11) |
60.0 (15.6) |
66.5 (19.2) |
65.1 (18.4) |
55.8 (13.2) |
45.1 (7.3) |
29.8 (−1.2) |
18.3 (−7.6) |
42.41 (5.8) |
平均最低気温 °F (°C) | 4.8 (−15.1) |
9.6 (−12.4) |
20.7 (−6.3) |
28.8 (−1.8) |
36.6 (2.6) |
43.4 (6.3) |
48.4 (9.1) |
47.0 (8.3) |
38.0 (3.3) |
29.0 (−1.7) |
17.6 (−8) |
6.2 (−14.3) |
27.51 (−2.5) |
降水量 inch (mm) | 0.82 (20.8) |
1.05 (26.7) |
0.86 (21.8) |
0.75 (19) |
1.32 (33.5) |
0.90 (22.9) |
0.83 (21.1) |
0.78 (19.8) |
0.70 (17.8) |
0.63 (16) |
0.80 (20.3) |
0.81 (20.6) |
10.25 (260.3) |
出典:NOAA (normals, 1971-2000) [1] |
人口動態
編集人口推移 | ||
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年 | 人口 | ±% |
1910年 | 322 | — |
1920年 | 737 | +128.9% |
1930年 | 572 | −22.4% |
1940年 | 548 | −4.2% |
1950年 | 961 | +75.4% |
1960年 | 1,562 | +62.5% |
1970年 | 1,224 | −21.6% |
1980年 | 1,241 | +1.4% |
1990年 | 1,016 | −18.1% |
2000年 | 1,026 | +1.0% |
2008年 | 982 | −4.3% |
[2][3] |
2000年の国勢調査[4]時点で、この市には1026人、427世帯、269家族が暮らしている。人口密度は1平方キロあたり450.2人で、平方マイルに換算すると1163.9人となる。住居数は505軒で、1平方キロに平均221.6軒(1平方マイルあたりでは572.9軒)が建っていることになる。住民のうち白人は95.13%、アフリカ系は0.49%、ネイティブ・アメリカンは1.36%、その他の人種は1.75%、混血は1.27%、ヒスパニック(ラテン系)は3.61%を占める。
427世帯のうち29.3%は18歳未満の子どもと暮らしており、48.2%は夫婦で生活している。11.9%は未婚の女性が世帯主であり、37.0%は家族以外の住人と同居している。34.0%が独り身世帯で、15.2%を独居老人の世帯が占める。1世帯あたりの平均構成人数は2.35人、家庭の平均構成人数は3.04人である。
住民のうち27.9%が18歳未満の未成年、6.8%が18歳以上24歳以下、22.4%が25歳以上44歳以下、25.8%が45歳以上64歳以下、17.1%が65歳以上となっており、平均年齢は40歳である。女性100人に対して男性が91.8人いる一方、18歳以上の女性100人に対しては90.7人いる。
一世帯あたりの平均収入は2万7993米ドル、家族ごとでは3万4688米ドルである。男性の平均収入は3万4688米ドル、女性の平均収入は1万7386米ドルで、労働者でない人々も含めた住民一人当たりの収入は1万4744米ドルとなる。総人口の22.6%、家族の19.6%、18歳未満の子どもの33.8%、および65歳以上の高齢者の15.8%は貧困線以下の収入で生計を立てている。
脚注
編集- ^ “Climatography of the United States NO.81”. National Oceanic and Atmospheric Administration. January 13, 2011閲覧。
- ^ Moffatt, Riley. Population History of Western U.S. Cities & Towns, 1850-1990. Lanham: Scarecrow, 1996, 90.
- ^ “Subcounty population estimates: Idaho 2000-2007” (CSV). United States Census Bureau, Population Division (2009年3月18日). 2009年4月27日閲覧。
- ^ American FactFinder, United States Census Bureau 2008年1月31日閲覧。