アリ・シェフェールアリ・シェーフェル、Ary Scheffer, 1795年2月10日 - 1858年6月15日)は、オランダドルトレヒト出身のフランス画家

アリ・シェフェール
Ary Scheffer
『自画像』 グルノーブル美術館所蔵
生誕 (1795-02-10) 1795年2月10日
バタヴィア共和国ドルトレヒト
死没 1858年6月15日(1858-06-15)(63歳没)
フランスの旗 フランス帝国アルジャントゥイユ
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生涯

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『キリストの誘惑』(1854年)

ドイツ出身でオランダで働いた肖像画家の息子に生まれた。弟に画家となったアンリ・シェフェールがいる。1809年に父親が亡くなって、1811年に画家でもあった母親とシェフェールはパリに移った。ピエール=ナルシス・ゲランPierre-Narcisse Guérin)の工房に入った。シェフェールがゲランの工房を出た頃、フランスではグザヴィエ・シガロンXavier Sigalon)、ウジェーヌ・ドラクロワテオドール・ジェリコーといった画家たちによるロマン主義が流行していた。しかし、シェフェールはロマン主義に関心がなく、「冷たい古典主義(classicisme froid)」[1]と呼ばれる独自のスタイルを発展させた。

 
ミニョン』(1836年)ドルトレヒト美術館所蔵

シェフェールは文学、とくにバイロンゲーテの作品を題材にした絵をよく描いた。人気のあった『ファウスト』テーマの作品には、『糸車のマルガレーテ』[2]、『疑惑に苛まれるファウスト』、『サバトのマルガレーテ』、『教会を去るマルガレーテ』、『庭園の散歩』、『井戸辺のマルガレーテ』などがある。1836年には、ゲーテ作品のヒロイン、ミニョンの絵を2枚と、ほぼ同時期にフランチェスカ・ダ・リミニを讃える絵を描いた。

それから宗教的なテーマに転じた。『慰める者キリスト』(1836年)に始まり、『報いる者キリスト』、『星に導かれし羊飼いたち』(1837年)、『王冠を置く東方の三博士』、『オリーヴの庭のキリスト』、『十字架を運ぶキリスト』、『埋葬されたキリスト』(1845年)、『聖アウグスティヌスモニカ』(1846年)が続けて描かれた。

シェフェールは熟達した肖像画家でもあった。描いた人物には、フレデリック・ショパンフランツ・リストラファイエットピエール=ジャン・ド・ベランジェアルフォンス・ド・ラマルティーヌマリー・アメリー・ド・ブルボンチャールズ・ディケンズシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールらがいる。

 
パオロとフランチェスカ』(1855年) ルーヴル美術館所蔵[3][4]

1846年以後、シェフェールは出展を止めた。王族との強い結びつきは、1848年フランス第二共和政発足後にシェフェールの人気を失墜させた。シェフェールはアトリエに籠もり、多くの絵を描いたが、それが展示されたのは死後のことだった。シェフェールは1858年6月15日にアルジャントゥイユで没し、遺体はモンマルトル墓地に埋葬された。

死後に展示された作品の中には、『大地の不安』と、未完成のまま残された『復活を告げる天使』がある。亡くなるまでの間にその名声は地に堕ちていた。その魅力と腕前は讃えられたが、色使いの貧しく、作品には生気がないと非難された。

シェフェールはボードラン将軍の未亡人と結婚した。1798年9月27日デン・ハーグで生まれた弟のアンリも多作の画家だった。シェルフェールは1848年、つまりサロンから完全に引退した後に、レジオンドヌール勲章のコマンドールを叙勲した。

日本では《戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち 》(1826)が国立西洋美術館に所蔵されている。

脚注

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  1. ^ Murray, P. & L. (1996), Dictionary of art and artists. Penguin Books. ISBN 0-14-051300-0.
  2. ^ Marguerite au rouet at linternaute.com
  3. ^ 作品《パオロとフランチェスカ》”. ルーヴル美術館. 2018年10月8日閲覧。
  4. ^ 中野京子『中野京子と読み解く 運命の絵』文藝春秋、2017年、140頁。ISBN 978-4-16-390616-4 

参考文献

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