アリューシャン地震 (1946年)

1946年のアリューシャン地震(アリューシャンじしん)は、同年4月1日アリューシャン列島東部のウニマク島付近を震源として発生した地震

アリューシャン地震 (1946年)
津波の襲来から逃げるハワイ州ヒロの住民
アリューシャン地震 (1946年)の位置(アラスカ州内)
アリューシャン地震 (1946年)
本震
発生日 1946年4月1日
発生時刻 12時28分56秒 (UTC)
3時28分56秒 (AKST)
震央 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アラスカ準州 アリューシャン列島 ウニマク島付近
北緯53度19分12秒
西経163度11分24秒(北緯53度19分12秒 西経163度11分24秒 / 北緯53.320度 西経163.190度 / 53.320; -163.190
震源の深さ 50 km
規模    モーメントマグニチュード(Mw)8.1
最大震度    改正メルカリ震度VI:[1]
津波 35m:ウニマク島[2]
地震の種類 海溝型地震
被害
死傷者数 死者・行方不明者:165人
出典:特に注記がない場合はUSGSによる。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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概要

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1946年4月1日、アリューシャン列島のウニマク島近くで地震があり、津波が発生した。地震は震源の深さ50km、モーメントマグニチュード (Mw) 8.1[1]表面波マグニチュード (Ms) は7.8)だった。ウニマク島では海抜40メートル程度の所にある灯台が津波で破壊されたほどであったが、津波はハワイで激甚な被害を出した他は、太平洋沿岸の北アメリカ西岸でも日本でも殆ど観測されず、ハワイに被害が集中した。死者・行方不明者は165名。津波による被害は2600万ドルに及んだ。

この津波被害を受け、アメリカ合衆国は地震警戒システムをつくった。この組織は1949年に、太平洋津波警報センター (Pacific Tsunami Warning Center) という名称になった。被害発生の際に、ハワイの日系住民らが「ツナミ」という語を用いたことがきっかけで、センター名に同語が使われ、アメリカおよび英語圏において津波を意味する学術用語化し、その後の2004年スマトラ島沖地震津波を経て国際語化する要因にもなった。

関連項目

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脚注

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外部リンク

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