アラン (Äran) はスウェーデン海軍海防戦艦アラン級。艦名は第一次ロシア・スウェーデン戦争時の戦列艦から引き継いでいる[1]

「アラン」

イェーテボリのリンドホルメン造船所で建造[2]。1899年起工[2]。1901年8月14日進水[2]。命名の際にオスカル2世がシャンパンの瓶を艦首にぶつけたのだが、ある司教が命名時の酒の使用を問題視し、以後そのようなことは行われなくなったという[3]。1902年9月7日竣工[2]

基準排水量3650トン、満載排水量3735トン、全長89.7m、水線長87.5m、最大幅15.02m、計画吃水5.02m[2]。艦隊司令部用施設や、冬季運用用の暖房を備えた[3]

主砲はボフォース44口径21cmM/98型砲2門で、艦前後の単装砲塔に搭載[4]。副砲はボフォース44口径15.2cmM/98型速射砲6門を単装砲塔で搭載した[4]。他の兵装はフィンスポング55口径57mmM/89b型砲10門とアームストロング・ホイットワース45,7cmM/99型水中魚雷発射管2門[2]

主機はモータラ製直立3気筒3段膨張蒸気往復動機関2基、主缶はヤーロー水管缶8基で、出力5500指示馬力[2]。2軸推進で計画速力16.5ノット[2]。公試では16.87ノットを発揮した[2]。航続距離は12ノットで3000浬[2]

装甲はKCで厚さは水線装甲帯が最大175mm、主砲バーベットと前楯190mm、側楯と後楯140mm、副砲バーベット100mm(ニッケル鋼とも)、前楯125mm、後楯60mm、シタデル175mm(ボフォース製とも)、司令塔175mm[5]。甲板は11.5mm厚鋼板2枚+25mm装甲鈑(普通鋼[6]

1906年8月、リーヴォ湾在泊中に荒天で走錨し、海防戦艦「ドリスティゲーテン」によって安全な場所へと曳航された[7]

1906年からアラン級4隻には前檣の三脚檣化とそこへの2m測距儀搭載がなされた[8]

1914年、海防戦艦「タッペレーテン」が座礁し、「アラン」と海防戦艦「ヴァーサ」などによる牽引が試みられているが失敗に終わっている[9]。1919年、「アラン」以下の艦隊がイェヴレに入港した際、水兵がそこの祭りに参加したが、乱闘騒ぎとなった[10]。日本の夏祭りが元だという祭りの名前から、このことは「ニッポン戦争」呼ばれたという[10]。1933年、予備艦となる[11]

第二次世界大戦中の「アラン」[6]。船体前部の白塗り箇所は中立国であることを示すものである[6]

第二次世界大戦が勃発すると再就役することになり、近代化改装を受けた後、オーランド海域戦隊旗艦を務めたりマルメーの防空に従事したりした[12]

近代化改装では元の57mm砲が撤去され、同砲の高角砲型のM/38型高角砲4門や、ボフォース60口径40mmM/36型機関砲2門、ボフォース25mmM/32型機銃2挺、カール・グスタフ8mmM/36型機銃単装2基、連装1基(連装2基とも)が搭載された[8]。また、魚雷発射管が撤去された[8]

1947年6月13日除籍[2]。その後浮桟橋とされ、1968年11月1日にファルケンベリ沖に沈められた[2]

脚注

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  1. ^ 『海防戦艦』135ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『海防戦艦』143ページ
  3. ^ a b 『海防戦艦』135ページ、"The Swedish Armoured Coastal Defence Ships", p. 18
  4. ^ a b 『海防戦艦』132、143ページ
  5. ^ 『海防戦艦』134、143ページ
  6. ^ a b c 『海防戦艦』134ページ
  7. ^ 『海防戦艦』127ページ
  8. ^ a b c 『海防戦艦』142ページ
  9. ^ 『海防戦艦』139ページ
  10. ^ a b 『海防戦艦』128ページ
  11. ^ 『海防戦艦』140ページ
  12. ^ 『海防戦艦』140-141ページ

参考文献

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  • 橋本若路『海防戦艦 設計・建造・運用 1872~1938』イカロス出版、2022年、ISBN 978-4-8022-1172-7
  • Daniel G Harris, "The Swedish Armoured Coastal Defence Ships", Warship 1996, Conway Maritime Press, 1996, ISBN 0-85177-685-X, pp. 9-24