アポロンとダプニス
『アポロンとダプニス』(伊: Apollo e Dafni, 仏: Apollon et le berger Daphni, 英: Apollo and Daphnis)あるいは『アポロンとマルシュアス』(伊: Apollo e Marsia, 英: Apollo and Marsyas)は、盛期ルネサンスのイタリアの巨匠ピエトロ・ペルジーノが1475年から1500年の間に制作した絵画である。油彩。メディチ家最盛期の当主ロレンツォ・イル・マニフィコの発注によって制作された作品で[2][3]、イザベラ・デステのために制作された『愛欲と純潔の戦い』(Lotta tra Amore e Castità)とともにペルジーノの2点のみ現存する神話画の1つである[2]。主題は以前はギリシア神話のアポロンとマルシュアスの音楽比べと考えられていたが、近年はシケリアの羊飼いダプニスとする説が有力となっている。現在は『愛欲と貞潔の戦い』とともにパリのルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。またヴェネツィアのアカデミア美術館に本作品の準備素描が所蔵されている[2][5][6]。
イタリア語: Apollo e Dafni 英語: Apollo and Daphnis | |
作者 | ピエトロ・ペルジーノ |
---|---|
製作年 | 1475年から1500年の間 |
種類 | 油彩、板(ポプラ材)[1] |
寸法 | 39 cm × 29 cm (15 in × 11 in) |
所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
主題
編集ダプニスはヘルメス神とシケリアのニンフの息子である。ダプニスと名づけられた赤子はニンフたちに育てられ、美しい牧童に成長した。ダプニスは多くの牛の群れを世話して暮らしたが、牧歌を発明して、多くの詩や歌を作り、牧神であるアポロンやパンの寵愛を受けた。後にダプニスはあるニンフと愛を誓うが、シケリアのさる王女がダプニスに恋焦がれ、彼を酩酊させて関係を持った。そのためにニンフの怒りを受けて視力を失った[7][8]。あるいは石と化したともいわれる[9]。
作品
編集ペルジーノは座ってフルートを演奏する若い羊飼いのダプニスと、その彼を観察しているアポロン神を描いている。演奏しているダプニスは画面左で岩の上に座り、アポロンは画面右で右手を腰に置き、左手に杖を持ちながら、コントラポストのポーズで立っている。両者の間には1本の木の切り株があり、そこにアポロン神を象徴する竪琴が紐で掛けられている。また切り株の近くからアポロンの足元にかけて、やはりアポロン神を象徴する弓と矢筒が置かれている。2人はウンブリア地方の穏やかな田園風景を背に描かれている。遠景では静かに流れる川のほとりに城壁に囲まれた小さな町と、3つのアーチを持つ橋が見える。木々がまばらに生えた岩がちなウンブリア地方の丘は、画面の奥へと進むにしたがって穏やかに鮮明さを失い、ペルジーノの作品に典型的な空中遠近法の効果を再現している[3]。
両者の裸体は光によって優しく形作られ、完璧にバランスの取れた構図は穏やかな調和の感覚を伝えている[3]。ペルジーノはおそらく古代の彫像作品をもとにアポロンとダプニス双方の構図を作り上げている。アポロンのポーズはオリンピア考古学博物館に所蔵されているプラクシテレスの『幼児ディオニュソスを抱くヘルメス』のヘルメス像を、ダプニスはナポリ国立考古学博物館に所蔵されているリュシッポスの『休息するヘルメス』を思い出させる[3]。
フルート奏者が誰を描いているのかは議論のある点であり、以前はマルシュアスと考えられていたが、マルシュアスは通常サテュロスとして描かれるため疑問が残る。これに対して、ダプニスとする説はフィレンツェの人文主義者の詩人ナルド・ナルディがロレンツォ・イル・マニフィコをダプニスと比較したことが有力な根拠となっている[2]。しかしヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されている準備素描では、ダプニスの耳は尖っているように見え、当初意図していたのはマルシュアスであったことを示唆している[2]。
美術史家ジョヴァンニ・モレッリによって1881年に初めてペルジーノに帰属された[2]。
来歴
編集絵画の来歴はほとんど不明である。確実にさかのぼれる最初の記録は、18世紀後半にロンドンの美術収集家ジョン・バーナード卿(Sir John Barnard, 1709年-1784年)が本作品を所有していたことである。絵画は所有者の死後にアンドレア・マンテーニャの作品として売却され、トーマス・エマーソン(Thomas Emerson)、フランシス・アイザック・デュ・ロヴレイ(Francis Isaac Du Roveray, 1772年-1849年)が所有した。デュ・ロヴレイが死去すると、その翌年にクリスティーズで売却され[1]、美術収集家モーリス・ムーア(Morris Moore, 1811年-1885年)の手に渡った[1][2]。
モーリス・ムーアは本作品をラファエロ・サンツィオによるものであると確信し、記事やパンフレットを通じて自身の見解を広め、異なる見解を持つ人々と論争することを厭わなかった[10]。1883年、モーリス・ムーアは「ラファエル・ド・モリス・ムーア」(Raphael de Morris Moore)のタイトルでサロン・カレに展示することを条件に、200,000フランでルーヴル美術館に売却した[2]。
ギャラリー
編集脚注
編集- ^ a b c d “Apollon et le berger Daphni, dit longtemps Apollon et Marsyas”. ルーヴル美術館公式サイト. 2023年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Perugino”. Cavallini to Veronese. 2021年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e “Apollo and Daphni – Musée du Louvre – Paris”. Il Perugino 2023. 2023年3月1日閲覧。
- ^ 『西洋絵画作品名辞典』p.668。
- ^ “After Pietro Perugino, Apollo and Marsyas”. ロイヤル・コレクション公式サイト. 2023年3月1日閲覧。
- ^ “Pietro Perugino, Apollo and Daphnis”. PubHist. 2023年3月1日閲覧。
- ^ アイリアノス『ギリシャ奇談集』10巻18。
- ^ シケリアのディオドロス、4巻84・2-4。
- ^ オウィディウス『変身物語』4巻。
- ^ Sara Filippin 2015, p.9.
参考文献
編集- 『西洋絵画作品名辞典』黒江光彦監修、三省堂(1994年)
- アイリアノス『ギリシャ奇談集』松平千秋、中務哲郎訳、岩波文庫(1989年)
- オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳、岩波文庫(1981年)
- ディオドロス『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年)
- Sara Filippin, “Questa fotografia non s’ha da fare…”: Morris Moore, Raffaello e l’Accademia di Belle Arti di Venezia. The Rivista di Studi di Fotografia, Vol.1, No.1, pp.8-25 (2015)