ゴンドールの王たち
ゴンドールの王たち(ゴンドールのおうたち)では、J・R・R・トールキンの小説『指輪物語』および『シルマリルの物語』の舞台となる中つ国に存在する、架空の国の王族について述べる。
概要
編集西方の大海に浮かぶ島ヌーメノールが沈没したとき、わずかな生き残りが中つ国に漂着して破滅をのがれた。指導者エレンディル、長男イシルドゥア、そして次男アナーリオンは、北方王国アルノールと南方王国ゴンドールを築いた。しかし冥王サウロンとの戦いでエレンディルもアナーリオンも死亡し、イシルドゥアもまたあやめ野で討たれた。王位はかれらの子孫が継いだものの、南北両王国が統一されることはなかった。
その後アルノールは分裂の末に滅亡し、繁栄していたゴンドールも冥王の国モルドールの脅威にさらされることになった。エアルヌア王は跡継ぎのないまま死に、ゴンドールは執政によって統治された。
『指輪物語』にて冥王は滅び、エレンディルおよびイシルドゥアの子孫であるアラゴルンがエレスサール王として位につくことで、約1000年を経てゴンドールに正当な統治者が戻った。
王の証
編集アルノールでは王笏がその位を象徴するものだったが、ゴンドールの王は冠をいただいていた。本来はヌーメノール式の兜で、イシルドゥアが冥王との戦いで着用したものをそのまま使用していた(アナーリオンの兜は持ち主の死とともに砕けていた)。豪奢な暮らしを好む栄誉王アルカリンの代に、宝石をちりばめた翼ある冠へと代えられたが、兜を模した造形なのは変わらなかった。エアルヌアはこの冠を亡き父エアルニルの墓前に置いたまま出撃して還らなかった。3019年の戴冠式で、ガンダルフの手でアラゴルンに授けられたことで、王冠は再び日の目を見た。
ゴンドールの王旗は、黒地に一本の白の木が描かれ、木の上に七つの星を置いたものだった。これはもともとイシルドゥアの旗印である。指輪戦争に際しドゥーナダンのハラバルドは、アルウェンによって複製されたこの旗を持参した。
王国草創期
編集エレンディル
編集中つ国に流れ着いたヌーメノール人の指導者。主にアルノールを治めていたが、ゴンドールを加えた両王国を統べる上級王にあたる。第二紀3441年、冥王サウロンとの戦闘で戦死。
アナーリオン
編集アナーリオン(Anárion)はエレンディルの息子。兄イシルドゥアとともに第二紀3420年、ゴンドールを建国する。冥王との戦いのさなか、バラド=ドゥーアからの投石により死亡。父の死に先立つ3440年のことであった。
かれには4人の子がいたが、詳細が語られているのは末子のメネルディルのみである。
イシルドゥア
編集亡き父エレンディルの後を継いで上級王になるためにアルノールへ向かう途中の、第三紀2年に、あやめ野にてオークに討たれ死亡。アナーリオンと共同統治していたため、ひとりのゴンドール王としては数えられていない[1]。
かれの遺した書き物は、後にガンダルフによって解読され、指輪の正体を知る手がかりとなった。
第1千年紀
編集※ 以下、代・名・没年の順に王について記載する。
王権の確立
編集- 3. メネルディル (Meneldil) 158年
- 4. ケメンドゥア (Cemendur) 238年
- 5. エアレンディル (Eärendil) 324年
- 6. アナルディル (Anardil) 411年
イシルドゥアが戻らなかったため、ゴンドールの王位はメネルディルと、かれの子孫が継いでいくことになった。上級王がいなくなったため、アルノールとの関係は希薄になった。
メネルディルはアナーリオンの第4子であり、ヌーメノールで生まれた最後のものである。かれはイシルドゥアの見送りの際に「帰りが遅くなればいい」と思っていたが、それを表に出すほど礼儀知らずではなかった。
東夷襲来
編集- 7. オストヘア (Ostoher) 492年
- 8. ローメンダキル1世タロスタール (Rómendacil I Tarostar) 541年
- 9. トゥランバール (Turambar) 667年
- 10. アタナタール1世 (Atanatar I) 748年
- 11. シリオンディル (Siriondil) 840年
オストヘア王はミナス・アノール(後のミナス・ティリス)を建造した。それ以後の王たちは、夏になると首都オスギリアスよりこちらで過ごすことが多くなった。
オストヘアの治世に、ゴンドールに初めて東夷が侵攻してきた。息子のタロスタール王は、東夷を撃退して「東の勝者」ローメンダキルの称号を得た。しかしかれは541年、新手の大軍と戦って討ち死にした。
その息子トゥランバールは改めて東夷を追い払って父の仇を取り、東部に領地を獲得した。
船艦王
編集- 12. タランノン・ファラストゥア (Tarannon Falastur) 913年
- 13. エアルニル1世 (Eärnil I) 936年
- 14. キアヤンディル (Ciryandil) 1015年
- 15. ヒャルメンダキル1世キアヤヘア (Hyarmendacil I Ciryaher) 1149年
タランノンは海軍を作ってアンドゥイン河口の西と南に勢力を拡大した。「沿岸の支配者」ファラストゥアがかれの称号である。海軍力の増進に努めたかれ以降の4代を、特に船艦王(Ship-Kings)と呼ぶ。
かれの甥のエアルニル1世はペラルギアの古い港を改修し、一大海軍を率いてウンバールを制圧した。しかし936年、ウンバール沖で暴風雨に見舞われ死亡した。
その後、ウンバールから追い払われた諸侯がハラド国人を率いて逆襲を試み、キアヤンディルは1015年にハラドワイスの合戦で果てた。
ウンバールはなおも攻撃を受け続けたが、陥落は免れていた。1050年、キアヤヘアは陸海双方から進軍し、ハラド軍を完敗させてゴンドールの主権を認めさせた。「南の勝者」ヒャルメンダキルの称号を得たキアヤヘアのもとでゴンドールは最盛期を迎え、かれの治世は134年間に及んだ。これは歴代第2位の長さである。
第2千年紀
編集栄誉王
編集- 16. アタナタール2世アルカリン (Atanatar II Alcarin) 1226年
アタナタール2世の豪奢な暮らしぶりは「栄誉王」アルカリンと呼ばれるほどで、「ゴンドールでは宝石もおはじき」とすら言われた。しかしかれは国力の維持に関しては何もしなかった。
北国人
編集- 17. ナルマキル1世 (Narmacil I) 1294年
- 18. カルマキル (Calmacil) 1304年
- 19. ローメンダキル2世ミナルカール (Rómendacil II Minalcar) 1366年
- 20. ヴァラカール (Valacar) 1432年
ゴンドールの王は、ロヴァニオン地方の北国人に対して好意的に接してきた。かれらがエダインの子孫でドゥーネダインとは遠縁にあたるためと、東夷への防衛の一助を担ってくれているためである。しかし中には東夷と手を組む北国人もおり、ナルマキル1世の治世に東からの攻撃が再開するようになった。
安楽な暮らしを好む伯父ナルマキルや父カルマキルに代わり、1240年から摂政として統治に携わっていたミナルカールは、活発な人物だった。かれは1248年に大軍を率いてリューンの湖東部を制圧し、王位につくとローメンダキル2世を称した。かれはアンドゥインの防衛を強化し、他国人がエミン・ムイル山地より先の大河を下ることを禁じた。『指輪物語』で指輪の仲間が見たアルゴナスの柱を建てたのはかれである。しかしローメンダキル2世は、北国人のことは重用し、自称ロヴァニオンの王ヴィドゥガヴィアを特に引き立てた。
1250年、ローメンダキル2世の息子ヴァラカールは、大使として北国人のもとに派遣された。ところが単なる友好使節の域を越え、かれはヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚してしまった。王族がドゥーネダイン以外のものと婚姻を結ぶなどゴンドールの風習では考えられないことだったので、このことは貴族たちの大きな反発を呼び、ヴァラカール王の治世の後半には南部で反乱が勃発した。
同族の戦い
編集- 21. エルダカール ヴィニサールヤ) (Eldacar / Vinitharya) 1490年
- 22. カスタミア (Castamir) 1447年
ヴァラカールの息子は、若いころは母方の民族にちなんでヴィニサールヤと呼ばれていたが、長じてからはエルダカールを名乗った。短命な異民族の子であるかれへの風当たりは強かったが、エルダカールは速やかな老化の兆候を見せるどころか母方譲りの勇敢さを発揮し、抵抗勢力と戦い続けた。
1437年、王都オスギリアスは叛徒による包囲の末に炎上し、遠見の石パランティーアまでもが失われた。王位を追われたエルダカールは母の祖国ロヴァニオンへと落ち延び、勢力の建て直しを図った。
空となったゴンドールの王位を簒奪したのは、海軍総指揮官カスタミアであった。かれは傲慢で狭量であり、エルダカールの息子オルネンディルを処刑したほか、オスギリアスの奪取に伴って無用の殺戮を繰り広げた。カスタミアは国土よりも艦隊に関心を寄せ、王都をペラルギアの港に移すことをもくろんでいたので、沿岸地域以外の住民からは反感を買った。
1447年、エルダカールは北方の軍勢を率いて逆襲し、レベンニン地方エルイの橋にて合戦が行われた。カスタミアはエルダカール自身の手で討たれたが、かれの息子たちや支持者はウンバールに逃れ、以後何世代にもわたってゴンドールと交戦状態を続けることになった。
この戦いでゴンドールの人材は大きく失われ、その補充のため以前にもまして北国人との混血が進むようになった。
疫病
編集- 23. アルダミア (Aldamir) 1540年
- 24. ヒャルメンダキル2世ヴィンヤリオン (Hyarmendacil II Vinyarion) 1621年
- 25. ミナルディル (Minardil)[2] 1634年
- 26. テレムナール (Telemnar) 1636年
- 27. タロンドール (Tarondor) 1798年
- 28. テルメフタール・ウンバールダキル(Telumehtar Umbardacil) 1850年
1634年、ミナルディルはカスタミアの曾孫2名が率いるウンバールの海賊によって、ペラルギアで殺された。なお、執政家の始祖フーリンはこの時代の人である。
後を継いだ第26代王テレムナールの治世に、東方から疫病が広まった。1636年、王と子供たちを含めた多くのものが病死し、ミナス・アノールの白の木もまた枯死した。
先王の甥タロンドールは白の木の苗を植えなおすと、荒廃したオスギリアスからミナス・アノールへと王宮を正式に移した。彼の治世は歴代王の中で最も長い162年だが、その間は国力の回復に努めることしかできなかった。
その息子テルメフタールは、1810年にカスタミアの子孫を殲滅してウンバールを奪い返し、「ウンバールダキル」の称号を得た。しかし南方への支配権も次の災いがやってくるまでだった。
馬車族襲来
編集- 29. ナルマキル2世 (Narmacil II) 1856年
- 30. カリメフタール (Calimehtar) 1936年
- 31. オンドヘア (Ondoher)1944年
- 32. エアルニル2世 (Eärnil II) 2043年
荷馬車に乗って東夷の一派馬車族が、冥王サウロン配下にたきつけられてゴンドールを襲うようになり、戦いは100年近くに及んだ。1856年、ナルマキル2世が討ち死にし、ロヴァニオンは奪われた。
しかし1899年、現地での反乱に助けられてカリメフタールがロヴァニオンを取り戻した。
オンドヘア王の治世に、長らく疎遠だった北方王国アルノールとの協議が開かれ、1940年、ゴンドール王女フィーリエルはアルノール王子アルヴェドゥイのもとへ嫁いだ。だが両国ともそれぞれの外敵への対処で手一杯であり、援軍を送りあう余裕はなかった。さらに馬車族はハラドと組んで南からも侵攻するようになり、ゴンドールは滅亡寸前となった。
1944年、モランノン北にてオンドヘア王は討ち死にし、2人の王子、そして縁者のミノホタールの命も失われた。しかし南方ではエアルニル将軍がハラド軍を撃破し、それから反転して勝利に浮かれた北方の敵も滅ぼした。
アルヴェドゥイはイシルドゥアの子孫としてゴンドールの王位を求めたが、執政ペレンドゥアはこれを拒み、1945年、王位は勝利をもたらしたエアルニル将軍に授けられた。
最後の王
編集- 33. エアルヌア (Eärnur) 2050年(推定)
アルノールの要求を蹴った形になった新王エアルニル2世だったが、北方王国との友好関係は維持しようとした。1973年秋、アルヴェドゥイからの救援要請を受け、エアルヌア王子が艦隊を率いて出撃。結局アルノール滅亡には間に合わなかったが、魔の国アングマールの軍勢を撃破し壊滅させた。しかし不死の幽鬼であるアングマールの魔王が現れると、エアルヌアは乗騎が逃げ出したせいで立ち向かうことができず、裂け谷のエルフの大将グロールフィンデルの助けで難を逃れた。
自国を失った魔王はモルドールに戻ると、2000年にミナス・イシルを包囲攻撃し、2002年にこれを占領して「呪魔の塔」ミナス・モルグルへと変えてしまった。これに対抗して、ゴンドール王都ミナス・アノールは「守護の塔」ミナス・ティリスと改名された。
2043年に即位したエアルヌア王は、剛勇ではあったが父の知恵までは受け継がず、武芸にばかり打ち込んで、妻を娶ろうとはしなかった。かれは怒りっぽく、ミナス・モルグルの主となった魔王が挑発してきたときは執政マルディルに制止されたものの、2050年に再度挑戦されたときは、わずかな手勢だけで飛び出していった。
その後、王の姿を見たものはいない。
王の不在
編集マルディルは何十年もゴンドールを統治し続けたが、エアルヌア王が戻ることも、新たな王位請求者が現れることもなかった。王国の統治権は執政家に代々受け継がれ、就任時には「王還りますまで、王の御名において」と宣誓されたものの、じきに単なる儀式用語になってしまった。
執政による統治は、2050年から3019年に及んだ。
再統一王国
編集指輪戦争のさなか、野伏に身をやつしていたイシルドゥアの末裔アラゴルンがゴンドールに帰還し、ペレンノール野の合戦を勝利に導いた。かれは戦時下であからさまに王位を請求するような態度はとらず、あくまで一介のドゥーナダンとして行動していたが、冥王サウロンを挑発するために進軍中あえて「王の到来」を布告したことはあった。
戦争が終結し、冥王が滅んだ後の3019年5月1日、アラゴルンはエレスサール・テルコンタール(Elessar Telcontar)として戴冠し、アルノールとゴンドールを統一した国の王として即位した。同年の夏至にはアルウェンと結婚し、やがて息子のエルダリオンと数人の娘をもうけた。
エレスサール王の支配は磐石であり、ときおり周辺諸国との紛争に際し出陣することはあったが、それらはもはや再統一王国を揺るがすような危機ではなかった。120年の治世の後にかれが世を去ると、エルダリオン(Eldarion)が次代の王として即位した。
エルダリオンの治世は100年ほど続いた。予言によると、かれの王国は100世代にわたって続き、その後多くの王国がかれから生じるとされている。
系譜
編集※ かっこ付きの数字は、何代目の王かを示している。
エレンディル(1) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イシルドゥア | アナーリオン(2) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァランディル | メネルディル(3) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ケメンドゥア(4) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エアレンディル(5) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アナルディル(6) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オストヘア(7) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ローメンダキル1世 タロスタール(8) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トゥランバール(9) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アタナタール1世(10) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリオンディル(11) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タランノン ファラストゥア(12) | タルキアヤン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エアルニル1世(13) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キアヤンディル(14) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒャルメンダキル1世 キアヤヘア(15) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルノールの王たち | アタナタール2世 栄誉王アルカリン(16) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ナルマキル1世(17) | カルマキル(18) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カリメフタール | ローメンダキル2世 ミナルカール(19) | ヴィドゥガヴィア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァラカール(20) | ヴィドゥマヴィ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
簒奪者カスタミア(22) | エルダカール(21) (ヴィニサールヤ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オルネンディル | アルダミア(23) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒャルメンダキル2世 ヴィンヤリオン(24) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンガマイテと サンガヒャンド | ミナルディル(25) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テレムナール(26) | ミナスタン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タロンドール(27) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テルメフタール ウンバールダキル(28) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ナルマキル2世(29) | アルキアヤス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カリメフタール(30) | カリムマキル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オンドヘア(31) | 娘 | シリオンディル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルヴェドゥイ | フィーリエル | アルタミア | ファラミア | ミノホタール | エアルニル2世(32) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アラナルス | エアルヌア(33) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アラソルン2世 | エルロンド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アラゴルン | アルウェン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルダリオン | 数人の娘 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||