アドリアノープルの戦い (813年)
アドリアノープルの戦いは、813年に第一次ブルガリア帝国が東ローマ帝国の都市であるアドリアノープルを占領した戦いである。
アドリアノープルの戦い | |
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戦争:ブルガリア・東ローマ戦争 | |
年月日:813年 | |
場所:アドリアノープル(現・エディルネ) | |
結果:ブルガリア帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
第一次ブルガリア帝国 | 東ローマ帝国 |
指導者・指揮官 | |
不明 | 不明 |
戦力 | |
不明 | 不明 |
損害 | |
不明 | 不明 |
経過
編集ヴェルシニキアの戦いで東ローマ軍を撃破したクルムはコンスタンティノープルの包囲を開始し、別働隊にはアドリアノープルの包囲を命じた。しかしクルムはコンスタンティノープルを落とす手段を持たず、東ローマと和平を結ぼうとした。その交渉の席で、東ローマ側はクルムを暗殺しようとした。この企ては失敗したが、これに激怒したクルムはトラキアの諸都市を荒らした。このころ、アドリアノープルの守備隊も長い包囲によって補給が断たれ、飢餓状態になったためブルガリアに降伏した。クルムは捕虜をブルガリア領内に移住させて、ブルガリアに帰還した。