アッバース・アル=ムーサーウィ

ヒズボラの2代目書記長

アッバース・アル=ムーサーウィ(アラビア語:عباس الموسوي 英語:Abbas al-Musawi 1952年 - 1992年2月16日)は、レバノンシーア派イスラム主義組織、ヒズボラの2代目書記長である。アッバス・アル=ムサウィなどとも呼ばれる。

アッバース・アル=ムーサーウィ
アラビア語:عباس الموسوي
出生地 レバノン
死没地 レバノン
所属政党 ヒズボラ
配偶者 既婚
子女 有り
宗教 イスラム教

在任期間 1991年 - 1992年2月16日
大統領 イリヤース・アル=ハラーウィー
テンプレートを表示

生涯

編集

1952年にレバノンで生まれる。大学生になると、イラクの宗教系大学に入学し[1]1978年レバノンに帰国。その後は一般人として生活していたが、1982年イラン革命に興味を持ったことや、大学でルーホッラー・ホメイニーに影響を受けていたこともあり[1]、ムーサーウィはイスラム主義的になっていった。そのことによって、1983年ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件にはムーサーウィが関連していると思われている。

1989年に同志と共にヒズボラを創設し、1991年には2代目ヒズボラ書記長となった。しかし、様々なテロに関わっている可能性があるムーサーウィはイスラエルからも警戒されていた。

1992年2月16日、妻、子どもと共にイスラエルのヘリコプターによる攻撃で暗殺された[1][2]

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ a b c ʿAbbās al-Mūsawī | Lebanese Politician, Militia Leader | Britannica” (英語). www.britannica.com (2024年10月1日). 2024年11月8日閲覧。
  2. ^ ʿAbbās al-Mūsawī” (英語). ブリタニカ社. 2024年11月8日閲覧。
党職
先代
スブヒ・アッ=トゥファイリ英語版
ヒズボラ書記長
1991年 - 1992年
次代
ハサン・ナスララ