アザディ・スタジアム
アザディ・スタジアム(ペルシア語: استاديوم آزادی、英語: Azadi stadium)は、イランの首都テヘランにあるスタジアム。イラン・イスラム共和国放送(IRIB)は、「アーザーディスタジアム」と表記している[3]。
アザディ・スタジアム Azadi Stadium ورزشگاه آزادی | |
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施設情報 | |
所在地 | テヘラン |
位置 | 北緯35度43分27.99秒 東経51度16分31.98秒 / 北緯35.7244417度 東経51.2755500度座標: 北緯35度43分27.99秒 東経51度16分31.98秒 / 北緯35.7244417度 東経51.2755500度 |
起工 | 1971年 |
開場 | 1971年 |
修繕 | 2002年-03年 |
所有者 | アザディ・スポーツ・コンプレックス |
運用者 | テヘラン州 |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 100 x 60 m |
設計者 | Abdolaziz Farmanfarmaian |
旧称 | |
アーリヤーメヘル・スタジアム (Aryamehr Stadium) | |
使用チーム、大会 | |
ペルセポリスFC(1971-現在) エステグラルFC(1971年-現在) サッカーイラン代表 (1973-present) 1974年アジア競技大会 AFCアジアカップ1976 西アジアサッカー選手権2004 | |
収容人員 | |
78,116 (2016–現在)[1] 84,412 (2012–2016)[2] 95,225 (2003–2012) 100,000 (1971–2003) |
概要
編集公式な収容人数は78,116人で、1974年のアジア競技大会の為に建設された。スタジアムは「アザディ・スポーツ・コンプレックス」の一角にあり、センター内にはサッカー練習場、重量挙げ、水泳施設、バレーボール、フットサル場が隣接する。
所在地はテヘランの中心から西へ約13キロ、標高1274mに位置する。
1997年11月21日に開催された1998 FIFAワールドカップ・大陸間プレーオフ (AFC-OFC)で128,000人の入場者数を記録している。さらに完成から40年以上が経ち老朽化が激しくなったことから、上部観客席を閉鎖している。
スタジアム名のアーザーディーはペルシア語で自由を意味する[4]。なお、テヘラン市内には他にもイラン革命を期として名称変更されたアーザーディー広場やアーザーディー・タワーなど「自由」の名前を冠した建築物が複数存在する。
スタジアムはサッカーイラン代表の国際試合の他に、ペルシアン・ガルフ・プロリーグのペルセポリスFCとエステグラルFCが本拠地として使用している。
かつてはパフラヴィー朝第2代皇帝のモハンマド・レザー・パフラヴィーを記念してアーリヤーメヘル・スタジアムと呼ばれていたが、イラン革命の後に現在の名称へ変更された。バックスタンドにはイランの初代最高指導者のルーホッラー・ホメイニーおよび2代目最高指導者のアリー・ハーメネイーの写真が掲げられている。
宗教上の理由から女性客の入場は認められていないため、試合時は男性客で溢れ返り異様な雰囲気を醸し出している。例外として2005年3月25日に行われたFIFAワールドカップ・ドイツ大会のアジア最終予選におけるイラン対日本戦においては、頭にスカーフを巻く等肌を極力露出させないよう義務付けた上で日本から来た女性サポーターの入場を特別に許可した。
ギャラリー
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スタジアムの俯瞰図
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1974年アジア競技大会開会式の様子
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ペルセポリスFCのサポーターがペルシアン・ガルフ・プロリーグ優勝後喜ぶ様子
脚注
編集- ^ “22 هزار نفر از ظرفیت آزادی کم شد :: ورزش سه”. www.varzesh3.com. 3 April 2018閲覧。
- ^ “Azadi Stadium | TeamMelli”. teammelli.com. 2015年3月20日閲覧。
- ^ “AFCチャンピオンズリーグで、エステグラールが8強入り”. IRIB. (2013年5月23日) 2013年5月24日閲覧。
- ^ “アーザーディー広場 - デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2013年6月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- Azadi Stadium at worldstadiums.com
先代 スパチャラサイ国立競技場 バンコク |
AFCアジアカップ 決勝戦会場 1976 |
次代 サバーハ・アッ=サーリム・スタジアム クウェートシティ |